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驢鞍橋 / 卷中

又云はく堂塔を立置ける事は、衆生濟度の方便有難き事也と書いたは、我行脚の時、辻堂に立寄り、不圖意に乘りたるに仍て書く也。又義を守るの段に、望危不變不動義也と云ふ處をは、因果の藥を用て守りたるか好き也。喩へは何たる苦來り橫難橫死に逢ふも知らなんだが、我に此の因果こそ有りつらん、よき借錢拂なりと思ふへし。總而因果次第よと守り行かば、何事にも動すべからすと也。

新字:又云はく堂塔を立置ける事は、衆生済度の方便有難き事也と書いたは、我行脚の時、辻堂に立寄り、不図意に乗りたるに仍て書く也。又義を守るの段に、望危不変不動義也と云ふ処をは、因果の薬を用て守りたるか好き也。喩へは何たる苦来り横難横死に逢ふも知らなんだが、我に此の因果こそ有りつらん、よき借銭払なりと思ふへし。総而因果次第よと守り行かば、何事にも動すべからすと也。

書き下し

又云はく堂塔を立置ける事は、衆生済度の方便有難き事也と書いたは、我行脚の時、辻堂に立寄り、不図意に乗りたるに仍て書く也。又義を守るの段に、危ふきに望んで変ぜず動ぜざるは義也と云ふ処をは、因果の薬を用て守りたるか好き也。喩へは何たる苦来り横難横死に逢ふも知らなんだが、我に此の因果こそ有りつらん、よき借銭払なりと思ふへし。総而因果次第よと守り行かば、何事にも動すべからすと也。

現代語訳

また言われた。「堂塔を建てておくことは、衆生済度の方便としてありがたいことである」と書いたのは、自分が行脚していたとき辻堂に立ち寄り、思いがけずその機に乗ったから書いたのである。また義を守る段に「危うきに臨んで変ぜず動ぜざるは義である」と書いたところは、因果の薬を用いて守るのがよい。たとえばどんな苦しみが来ても、思いがけない災難や非業の死に遭っても、知らなかったが自分にはこの因果があったのだろう、よい借金の返済だと思いなさい。すべて因果しだいだと守って行けば、何事にも動じることはない、と言われた。

解説

『草分』の文言の由来を明かす条で、ここでは義を守る心の支えとして因果の考えを示す。災難に遭っても、自分にはその因果があったのだと受け止め、よい借金の返済だと思えという。理不尽を嘆いて動揺するより、引き受けてしまうほうが心は乱れないという知恵である。もちろん他人の不正を黙認せよという意味ではない。思わぬトラブルに見舞われたとき、まず自分の側の原因を引き受けることで、次の一手が落ち着いて打てるようになる。

この章句が説くこと

因果義災難受容修行草分

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