驢鞍橋 / 卷中
○示同人返書。便り候間、文を越し申し候。行脚に出て申し候はん由、何よりの事に候。此の上は行脚の心遣專一に候。一、行脚は捨身の心第一也。夢幻泡影の理、胸に納め、飛花落葉に付て慥に守り可被申候。又即今臨終の念を忘るへからす。此の三胸になくは、行脚して詮なし。一、同行の人候て、行脚にて惡毒にて候。先つ賴母敷心あるへし、慰心あるへし、悅ふ心あるへし、浮世の事出來すへし。兎にも角にも心の綱ふとく成り、きれはし鈍く候はん事無疑候。
新字:○示同人返書。便り候間、文を越し申し候。行脚に出て申し候はん由、何よりの事に候。此の上は行脚の心遣専一に候。一、行脚は捨身の心第一也。夢幻泡影の理、胸に納め、飛花落葉に付て慥に守り可被申候。又即今臨終の念を忘るへからす。此の三胸になくは、行脚して詮なし。一、同行の人候て、行脚にて悪毒にて候。先つ頼母敷心あるへし、慰心あるへし、悦ふ心あるへし、浮世の事出来すへし。兎にも角にも心の綱ふとく成り、きれはし鈍く候はん事無疑候。
書き下し
○示同人返書。便り候間、文を越し申し候。行脚に出て申し候はん由、何よりの事に候。此の上は行脚の心遣専一に候。一、行脚は捨身の心第一也。夢幻泡影の理、胸に納め、飛花落葉に付て慥に守り可被申候。又即今臨終の念を忘るへからす。此の三胸になくは、行脚して詮なし。一、同行の人候て、行脚にて悪毒にて候。先つ頼母敷心あるへし、慰心あるへし、悦ふ心あるへし、浮世の事出来すへし。兎にも角にも心の綱ふとく成り、きれはし鈍く候はん事無疑候。
現代語訳
同じ人への返書。便りがあったので、手紙を送る。行脚に出られるとのこと、何よりである。この上は行脚の心遣いが第一である。一、行脚は捨身の心が第一である。夢幻泡影の道理を胸に納め、飛ぶ花や落ちる葉につけて、確かに守られるがよい。また、今この時が臨終だという念を忘れてはならない。この三つが胸になければ、行脚しても甲斐がない。一、同行の人がいるのは、行脚にとって毒である。まず頼もしく思う心が生じ、慰めの心が生じ、喜ぶ心が生じ、浮世のことが出てくるだろう。とにもかくにも心の綱が太くなり、切れ味が鈍くなるのは疑いない。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『驢鞍橋』卷中○示同人書。夫れ仏道修行万行ありといへとも、今時の体を見るに、行脚第一なるべし。殊に女人何たる殊勝を用ゆるとも、業障尽すへからす。捨身の心を守りて、行脚を以て業障を尽すべし。然る間、観音を信仰し奉り、滅除煩悩、滅除業障の大誓願を発して、西国三十三所を迴り札を打つこと尤なり。疎にして菩提心発るへからす。心得のため一つ書にいたし越し申し候。一、家を出るより観音を念し、仏を先立奉り、跡に付て行くへし。一人あるきする事大なる錯也。念じつめて行くへし。必す守護し給ふへし。一、道を行く時は、守り仏を頸にかけ、経と珠数を手に持て、経を読みて行くへし。さなくして読むは功徳少し、必す手を離すべし。
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『驢鞍橋』卷上古来先達の行脚と云ふは、師を尋ね道を求め、身命を不願、千万里の行脚をなすも有り、或は得法の人、諸方を勘弁に行脚せられたるも有り、或は丈夫底の人、万縁に触れ、いよいよ性をためさん為めの行脚も有り、或は心有る人山水草木に向て、心を磨かん為めの行脚は有れとも、其方如きの途方無き者の行脚を為し、徳有る事を知らす。在在処処を妄にうろたへ廻り、無作法者と成り、為方無くは盗をもし、忽ち故なく悪人と成るへし。此つれに行脚して売僧に成り、気違ひに成りたる者数を知らす。我彼様の者にあきはてり、沙汰を聞くもいや也。若し我異見をも聞かば留るべし、左無くは向後出入無益也。今世後世の綠を切ると大に呵し給へは、其者頓て留りぬ。
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『驢鞍橋』卷中又行脚の段に、霊仏霊社に参詣して、霊性清浄の機を受け、自己清浄と成り、山水草木に向つても、彼れか清浄の機を受けて自已を浄めと云ふも、機に移りたるに仍て書く也。又願力の段に、自巳の徳益なきのみならす、剰へ万人の心に違て、他人を引て悪道に入るへきこと、かねて知らすんば有るへからすと云ふは我か悪にて我一人沈むはせめて也。万人が無道人の坊主哉、いやどうよくなる入道哉と、さまざま地獄を造て堕る也。行ひ悪しき人の、諸人を引て悪道に入ること如是。大なる咎也。
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『驢鞍橋』卷上我処に在らば仏行大形にしてなりとも、先つ我書を見分け不審も有らば問ひ窮め置くへきに、文字さへ見分けさるは余り慚愧の事也。只汝は追出して乞食させたるか慈悲なるべし。思ひ切つて世縁をづんと離れ、身を捨て、乞食し、乞出せば食し、若し乞出ずんば餓死せんと思ひ切つて、天道に任せて行脚せは、楽に居て飮喰し、仏行を為したるよりも增しなるへし。必す無縁乞食修行すへしと也。
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『驢鞍橋』卷上一日去る人西国巡礼を思ひ立ち、師を辞して曰く、此中承はる自己を守るの段、心得難し、弥示し給へ。師聞て曰、自己を守る事成るへからず、只念仏申して行脚すへし。又は油断無く咒陀羅尼をくり、何千返何万返と巡礼札に書付け、処々に打巡つて業障を尽すへし。其自己の沙汰先々にてしてくれめさるゝな、ふつゝと無用にめされよ。只乞食し仏行を作して業障を尽さるへし。少し意など移りたると云ふとも、業障を尽さねば何の用にも立たぬ物也。責めて死苦を受けぬ程に勤むべし。大略責められめされんず、愚に思ひめさるゝなと也。
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『驢鞍橋』卷中如是なる身を愛するを愚人と云ひ、殺得するを道者とす。此の理を忘れすして、捨身を本意として行脚すへし。油断あらは、大地獄に入るへし。此の身を捨て切り、浮世にはなれ切らずは、仏果に到る事有るへからす。食乏しき時は、此の身に餓鬼ある事を知て責むへし。瞋恚の発る時は、則ち地獄の衆生なる事を知て責むへし。愚痴蒙昧の時は、則ち畜生なりと知て責むへし。大小便の時は、臭肉不浄を以て責むへし。起居動静について臭皮袋を責めて、終に責め破る時節有らは、即心成仏なるへし。是れを日々に読みて責むへし。必す読み聞かすへし。懈怠有るからす。已上。
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