驢鞍橋 / 卷中
如是なる身を愛するを愚人と云ひ、殺得するを道者とす。此の理を忘れすして、捨身を本意として行脚すへし。油斷あらは、大地獄に入るへし。此の身を捨て切り、浮世にはなれ切らずは、佛果に到る事有るへからす。食乏しき時は、此の身に餓鬼ある事を知て責むへし。瞋恚の發る時は、則ち地獄の衆生なる事を知て責むへし。愚痴蒙昧の時は、則ち畜生なりと知て責むへし。大小便の時は、臭肉不淨を以て責むへし。起居動靜について臭皮袋を責めて、終に責め破る時節有らは、即心成佛なるへし。是れを日々に讀みて責むへし。必す讀み聞かすへし。懈怠有るからす。已上。
新字:如是なる身を愛するを愚人と云ひ、殺得するを道者とす。此の理を忘れすして、捨身を本意として行脚すへし。油断あらは、大地獄に入るへし。此の身を捨て切り、浮世にはなれ切らずは、仏果に到る事有るへからす。食乏しき時は、此の身に餓鬼ある事を知て責むへし。瞋恚の発る時は、則ち地獄の衆生なる事を知て責むへし。愚痴蒙昧の時は、則ち畜生なりと知て責むへし。大小便の時は、臭肉不浄を以て責むへし。起居動静について臭皮袋を責めて、終に責め破る時節有らは、即心成仏なるへし。是れを日々に読みて責むへし。必す読み聞かすへし。懈怠有るからす。已上。
書き下し
如是なる身を愛するを愚人と云ひ、殺得するを道者とす。此の理を忘れすして、捨身を本意として行脚すへし。油断あらは、大地獄に入るへし。此の身を捨て切り、浮世にはなれ切らずは、仏果に到る事有るへからす。食乏しき時は、此の身に餓鬼ある事を知て責むへし。瞋恚の発る時は、則ち地獄の衆生なる事を知て責むへし。愚痴蒙昧の時は、則ち畜生なりと知て責むへし。大小便の時は、臭肉不浄を以て責むへし。起居動静について臭皮袋を責めて、終に責め破る時節有らは、即心成仏なるへし。是れを日々に読みて責むへし。必す読み聞かすへし。懈怠有るからす。已上。
現代語訳
このような身を愛する者を愚人といい、これを殺し得る者を道者とする。この道理を忘れず、捨身を本意として行脚しなさい。油断があれば大地獄に落ちるであろう。この身を捨て切り、浮世から離れ切らなければ、仏果に至ることはできない。食べ物が乏しいときは、この身に餓鬼がいることを知って責めなさい。怒りが起こるときは、それが地獄の衆生であると知って責めなさい。愚かで道理に暗いときは、それが畜生であると知って責めなさい。大小便のときは、臭い肉の不浄をもって責めなさい。起居動作のすべてにつけて臭い皮袋を責め、ついに責め破るときがあれば、それが即心成仏である。これを毎日読んで責めなさい。必ず読み聞かせなさい。怠ってはならない。以上。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『驢鞍橋』卷下一日去る人自己を守らんとするに、取着き処無くして守れぬと云ふに示して曰く、中々好き合手こそあれ。先つ此身痛く痒く熱く寒く、四苦八苦満み満み不浄は積て湛へたり。扨て心中には八万四千の悪業煩悩の苦有り、やれやれいやな体哉。あな憎くの心め哉と此身心を合手にして、きつと睨付けて守るべし。之に增したる合手有らんや。我は始めより憂かりこの機がきつと備はり、此身に使はれ責めらるゝことかうゝて有りしに仍て、抜かしたうても自ら抜けす。左なき人は我悪いことに眼を付けて守るの外なし。必ずこの糞袋を合手にして、きつと張合て守るへし。如是なしてこそ、二王の機と云ふことをも知り、実も薄く成り、心も次第に自由に成るべし。総じて修行は、今使はるゝ様にすへき也。
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『驢鞍橋』卷上是れは只今其方の心の輪廻するを以て知るべし。善念頓て悪念に成り、悪心も亦善心に成る也。天道より地獄に往き、地獄より天道に往く証拠是れ也。余の悪道を廻る事も如是。此念を離れて不生不滅なるを成仏と云ふ也。如是我と念根を修し尽して、成仏すること也。何として傍より其方の念を休めんや。强く眼を着け、南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏と命を限りにひた責めに責めて、念根を可尽すべし。総じて大なる悪、及ばさる望は休む物也、されとも兎角なにか有る物也。念根の切尽す事難し。然る間此糞袋を敵にし、念仏を以て申滅すへし。是れ念根を切る修行也。彼者云、然らば此身を離る事と心得て置くべきや。師呵して曰く、心得て置くは悪き也。仏道と云ふは心得て置く事に非す、身心を修し尽す事也。
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『驢鞍橋』卷上又彼者、悪心休み欲心抔なしと云ふ。師曰、少しの処収りぬれば、是となし居る物也。何程無欲に成り、人好く成りたりとも、此娑婆を楽む念、又我身を思ふ念は休むへからす。是れを離れすんば皆是れ輪廻の業也。是念を滅するには、身心は是れ怨家なりときつと睨詰めて、念仏を以て責滅すばかり也。別に道理の入る事にも非ず、智恵の入る事にも非す、人を頼みて成仏する事にも非す、人の引て地獄へ落すにも非す、地獄へも天道へも只今の念が引て往く也。瞋恚は地獄、欲心は餓鬼、愚癡は畜生、是れを三悪道と云ふ也。此上に修羅人間天上の三善道を加へて、六道と云ふ也。皆是れ一心の内に有る六道也。此間を離れす、上に登り、下に下り、廻り休まさるを六道輪廻と云ふ也。
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『驢鞍橋』卷下又曰く、常に身にうますべからす。濡袋の使、殺してくれんずと思ひ定て、身を打捨て使はるべし。総而若い衆能く心得めされよ。老婆は、も早色体の役に各なし。心一つの勤め也。若い衆の色のうるはしきは、悪血多き故也。其証拠には、あのお姥と其方達とならべて焼きたらば、其方抔臭かるべし。誠に婬欲一つも、大なる苦也。その故は、如是一座に双び居ても、その心なき者は楽也。扨てその心有る者は、增りて苦むに非すや。能く能く真実を起し、如何なる悪因にて、拙き女性と生れ来るか、又生々如是にて有らんか、口惜き次第也と、仏前に於て大願を起して、今度此の身を救ひめされよ、縦ひ出離迄こそなくとも、せめて変成男子ほどにせずんば、人界に生を得たる甲斐無し。又一生に成仏すると云ふ道理も、疑ひ無きこと也。
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『驢鞍橋』卷上又云、扨もたわけた事哉。喰はねば飢るし、着ねば寒し、洗はねばむさし、夏は熱し、扨痛し痒し、何の用にも無き物を楽む事哉。如是秘蔵して何の為めぞと思へば、日夜悪業計りを作して、永刧の苦因となす。極めて愚なる事に非ずや。只能く此道理を信得して、此からだに離るべき也。嗚呼是非に及ばぬは、今時の出家此道理を忘れ、仏法を外に心得、悟を求め、見解を求め、経文語録に着し、剰へ名聞利養に住す。法の筋の差ふたる事天地遥也。当寺の衆も爰に於て大に驚き、飛んて出づる程思はれずんば、何の詮も有るべからずと也。
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『驢鞍橋』卷中一、六右息女出家望のよし、尤に候。若し出家候は、不浄観を与へ可被申候。此の身は煩悩悪業の身也、不浄汚穢の身也、五臓六腑を思ふに、中々不浄至極せり。目汁鼻汁耳垢膿唾、毛の穴より出る汗、大小便、此の臭皮袋に著て六根門より出る也。何を以て是れを清めんや。又此の体を能く見るに、赤き肉はうじと成る、臭気如何はかりならんや。此の骨はれておそろし。白き頭は見るもかなし。此の身にそなはる苦患は、生老病死の四つあり。求不得苦、怨憎会苦、愛別離苦、五盛陰苦の四にあり。合せて之を八苦と云ふ。又十悪あり。殺生、偸盗、邪婬は、身に着て三つの科なり。妄語、綺語、悪口、両舌は、口に著て四の科也。貪欲、瞋恚、愚痴は、心に着て三の科也。合せて十悪といへり。然れは此の身に着て何の楽かあり、何の善根かあり、何の清浄かあるや。
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