驢鞍橋 / 卷中
如此無碍自在鐵心肝を、武士たる人學ひ給はぬ事、さりとては恨あり。五郞左衛門殿、六太夫殿へ是を切々讀み聞かせ申し度候。御嫌候共、無理に被讀申候。一、四民日用も浮心の穿鑿承度候。是も無理に御尋可有候。一、草分に書き申し候捨身の段、自巳を守るの段、切々御穿鑿候樣に可被申候。一、世の中の後世沙汰悟の成佛のと云ふ事、大に違ひ申し候。能く能く御分別候へと申し度候。五郞左衛門殿へ具に申し候はで無念に候間、大方を出付越申し候。同くは御油斷なき樣にと存候。此の趣能く能く心得可被申候。已上。
新字:如此無碍自在鉄心肝を、武士たる人学ひ給はぬ事、さりとては恨あり。五郎左衛門殿、六太夫殿へ是を切々読み聞かせ申し度候。御嫌候共、無理に被読申候。一、四民日用も浮心の穿鑿承度候。是も無理に御尋可有候。一、草分に書き申し候捨身の段、自巳を守るの段、切々御穿鑿候様に可被申候。一、世の中の後世沙汰悟の成仏のと云ふ事、大に違ひ申し候。能く能く御分別候へと申し度候。五郎左衛門殿へ具に申し候はで無念に候間、大方を出付越申し候。同くは御油断なき様にと存候。此の趣能く能く心得可被申候。已上。
書き下し
如此無碍自在鉄心肝を、武士たる人学ひ給はぬ事、さりとては恨あり。五郎左衛門殿、六太夫殿へ是を切々読み聞かせ申し度候。御嫌候共、無理に被読申候。一、四民日用も浮心の穿鑿承度候。是も無理に御尋可有候。一、草分に書き申し候捨身の段、自巳を守るの段、切々御穿鑿候様に可被申候。一、世の中の後世沙汰悟の成仏のと云ふ事、大に違ひ申し候。能く能く御分別候へと申し度候。五郎左衛門殿へ具に申し候はで無念に候間、大方を出付越申し候。同くは御油断なき様にと存候。此の趣能く能く心得可被申候。已上。
現代語訳
このように何にも妨げられず自在な鉄心肝を、武士である人が学ばれないのは、なんとも残念である。五郎左衛門殿、六太夫殿へ、これを繰り返し読み聞かせてほしい。嫌がられても、無理にでも読ませていただきたい。一、『四民日用』についても、浮心についての詮索を聞きたい。これも無理にでも尋ねていただきたい。一、『草分』に書いた捨身の段、自己を守る段を、よくよく詮索されるように申し伝えてほしい。一、世の中で言う後世の沙汰、悟りだの成仏だのということは、大いに間違っている。よくよく分別されるよう申し上げたい。五郎左衛門殿へ詳しく申し上げられなかったのが残念なので、あらましを書いて送る。同じことなら油断のないようにと思う。この趣旨をよくよく心得てほしい。以上。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『驢鞍橋』卷中第一、生死を守る心と云ふは、此の生と云ふものは、何の用にも立たぬ物哉。扨て扨ていやなわるい物哉とよく知り、扨て死は隙の明きたよき物なりと知り、只今必す死すと眼を著け歯をかんで、ぐつと死して直に死習ふ心也。第二、恩を知る心。四恩といへ共、武士は主の恩を能く知るへし。総して恩をしらぬ故に不義多し。実に恩を知る則は、真の心となる也。第三、一陣に進む心と云ふは、千騎万騎の中へ、只一人つゝとかけこむ心を守る事也。第四、因果の理を知る心と云ふは、万事因果次第よと思ひ定むれは、娑婆の望もなく心楽也。又命を取らるゝ程の事来るとも知らなんだが、我に此の因果こそ有りつらんと思ひ定めは、苦む事有るべからす。又人を恨むる事も有るへからず。人毎に此の因果の道理はしらせ度也。是れを守る則は、大に苦を免るゝ事也。
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『驢鞍橋』卷下同九月十七日の晩、対衆曰く、今日何某等にごきつう云ふたが何とあの様に云ふたは、好いと思ふや。あの様に云はれて、ぬるぬるとして取受ぬ性は、扨て扨てくどつきてはをりないが、なにか武士たる者か死ること抔取受けぬと云ふことがあつてこそ、只何としてもしつかと用ゐ得ぬに仍て、ぐどつくと見えたり。嗅機を引立て眼をすゑて死ねることを学はではと牙ぎしりを咬み給ふ也。
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『驢鞍橋』卷中一、常に心を持つへき様、強馬に乗りたる時の心を忘れす、昼夜守べし。油断せは、煩悩の敵発り来て、苦患悪業ある□。一、心をはりかけ、眼をすゑて奥牙をかみ合せ、生死を急に守て、忽ち死する心を用ふべし。一、千騎万騎の敵の中へ唯一人かけ入る心を守るへし。如此持て此の心純熟する時は、心無事にして、万事に使ふに自由なるへし。芸能にも此の心を使はずは上手にあらす。武勇の働も、此の心なくて不叶。人に交り公界へ出て物を云ふとも、此の心なくは不自由なるへし。
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『驢鞍橋』卷上一日去る者草分を誦み損するを呵して曰く、我文もつゞかされとも、汝等か為めに心の及ぶ程書曲げて置くに、年来左右に乍居、是れを見分けぬと云ふ様な、無道心なる事有らんや。扨もでかい恥不知哉。爰に有るは只我をたらして、飯を心安く喰はん為めか。其面にて我前に好く出づる事也。夫れげな心にて先々にて我を売り回り、我にも耻を与ふる也。乍去我耻はもはや二三年の耻也。汝か永劫閣魔の前の耻を顧みすや。扨々不義至極の者哉。
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『驢鞍橋』卷下良有て曰く、内々聞きしこと、其地の修行者衆、我物語を聞き得たる人一人も□なし、皆違つて居ると云ふ。何れも我前にては聞かるゝやうなれども、或は法語々録等を見て、人人仏法を修し、我法を修する人なし。しかも我物語をも、是等と一つに思へり。我云ふはずつきと別也。只牙咬をして死ぬこと一つを窮むること也。誠に若き時より八十迄如是用ゐ来る計也。更に仏法に非ず。我もそつと若くんば、其地へ上り、我物語を聞きし人人に往き逢ひ、正三か物語を聞きたと云ひめさるゝな、皆ちかへり必す沙汰めさるゝな。正三が沙汰ふつゝといやなりと云ひ渡し度思ふと也。
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『驢鞍橋』卷上一日示して曰く、誰も憂き事に逢ふては死に度き事も有るべし。只栄耀にして機をへらし居られば、老ても命の惜き事は、若者と替りあるべからす。少々にして娑婆の隙明くべからず。其方達も十二時中眼をすゑ、拳を握り、せぼねを引立て、臍の下より勇猛の心湧出づる程に修すべしと也。
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