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驢鞍橋 / 卷中

然る間念佛を唱ふる人も、念佛を以て煩惱の病を退治すへき心有て、發る念にかまはず、ひた責にせめて念佛するは、即心成佛の念佛なるへし。安樂淨土の快樂を望み、來世を願ふ念佛は、輪廻の業增長なるへし。此の類は專ら死欲也。此の理を知て常に心强く夢中に忘れすして、日夜守りつめて身心を責扱き、無事の人となるを、鐵心肝とも云ひ、大丈夫の人とも解脫の人ともいふ也。是れ物に勝得たる人なり。此の人に何の生死かあり、何の煩惱かあらんや。此の心に至る也、煩惱即菩提。生死即涅槃也。去る間悟の前の是非は、ぜひ共に是也。迷の前の是非は、是非共に非也といへり。

新字:然る間念仏を唱ふる人も、念仏を以て煩悩の病を退治すへき心有て、発る念にかまはず、ひた責にせめて念仏するは、即心成仏の念仏なるへし。安楽浄土の快楽を望み、来世を願ふ念仏は、輪廻の業增長なるへし。此の類は専ら死欲也。此の理を知て常に心強く夢中に忘れすして、日夜守りつめて身心を責扱き、無事の人となるを、鉄心肝とも云ひ、大丈夫の人とも解脱の人ともいふ也。是れ物に勝得たる人なり。此の人に何の生死かあり、何の煩悩かあらんや。此の心に至る也、煩悩即菩提。生死即涅槃也。去る間悟の前の是非は、ぜひ共に是也。迷の前の是非は、是非共に非也といへり。

書き下し

然る間念仏を唱ふる人も、念仏を以て煩悩の病を退治すへき心有て、発る念にかまはず、ひた責にせめて念仏するは、即心成仏の念仏なるへし。安楽浄土の快楽を望み、来世を願ふ念仏は、輪廻の業增長なるへし。此の類は専ら死欲也。此の理を知て常に心強く夢中に忘れすして、日夜守りつめて身心を責扱き、無事の人となるを、鉄心肝とも云ひ、大丈夫の人とも解脱の人ともいふ也。是れ物に勝得たる人なり。此の人に何の生死かあり、何の煩悩かあらんや。此の心に至る也、煩悩即菩提。生死即涅槃也。去る間悟の前の是非は、ぜひ共に是也。迷の前の是非は、是非共に非也といへり。

現代語訳

そうであるから念仏を唱える人も、念仏によって煩悩の病を退治しようという心があって、起こる念にかまわず、ひたすら責めに責めて念仏するのは、即心成仏の念仏である。安楽浄土の快楽を望み、来世を願う念仏は、輪廻の業を増長させる。このたぐいはもっぱら死後への欲である。この道理を知って、常に心を強く持ち、夢の中でも忘れず、日夜守り詰めて身心を責めしごき、無事の人となることを、鉄心肝とも言い、大丈夫の人とも解脱の人とも言うのである。これは物に勝ち得た人である。この人に何の生死があり、何の煩悩があろうか。この心に至ってこそ、煩悩即菩提、生死即涅槃である。だから、悟りの前での是非は是も非もともに是であり、迷いの前での是非は是も非もともに非である、と言われている。

解説

念仏を否定しているのではなく、念仏の使い方を問うている一節である。極楽に生まれたいという願いで唱える念仏は、かえって欲を育てると正三は見る。念仏を煩悩と戦う道具として使い、雑念にかまわず責め抜くなら、それは即心成仏の念仏になる。同じ行いでも、何のためにするかで中身がまるで変わるという指摘である。仕事の習慣や研修も、見返り目当てか自分を鍛えるためかで、効き目が違ってくるだろう。

この章句が説くこと

念仏動機鉄心肝煩悩修行即心成仏

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