驢鞍橋 / 卷中
シテ詞姥古人云ふ心は萬境によつて轉ず。轉處實に能幽也。流に隨て性を認得すれは喜もなく亦憂もなしと也。我もさすらへの身なれは。流に隨て下り候ふへし村々里々を過き。天王寺に着て候ふ。是れより住吉へと心ざし。阿部野の原に立出ぬ。是に朽木の候ふ。腰をかけてやすまはやと思ひ候ふ。ワキ同はや日も西に山にかたぶきぬ。道を急かうするにて候ふや。是れなる乞食の腰かけたるは。正しく卒都婆にて候ふ。敎化してのけうずるにて候ふ。いかに是れなる乞丐人。おことの腰かけたるは。忝くも佛体色性の卒都婆にてはなきかで立ちのきて餘の所にやすみ候へ
新字:シテ詞姥古人云ふ心は万境によつて転ず。転処実に能幽也。流に随て性を認得すれは喜もなく亦憂もなしと也。我もさすらへの身なれは。流に随て下り候ふへし村々里々を過き。天王寺に着て候ふ。是れより住吉へと心ざし。阿部野の原に立出ぬ。是に朽木の候ふ。腰をかけてやすまはやと思ひ候ふ。ワキ同はや日も西に山にかたぶきぬ。道を急かうするにて候ふや。是れなる乞食の腰かけたるは。正しく卒都婆にて候ふ。教化してのけうずるにて候ふ。いかに是れなる乞丐人。おことの腰かけたるは。忝くも仏体色性の卒都婆にてはなきかで立ちのきて余の所にやすみ候へ
書き下し
シテ詞姥古人云ふ心は万境によつて転ず。転処実に能幽也。流に随て性を認得すれは喜もなく亦憂もなしと也。我もさすらへの身なれは。流に随て下り候ふへし村々里々を過き。天王寺に着て候ふ。是れより住吉へと心ざし。阿部野の原に立出ぬ。是に朽木の候ふ。腰をかけてやすまはやと思ひ候ふ。ワキ同はや日も西に山にかたぶきぬ。道を急かうするにて候ふや。是れなる乞食の腰かけたるは。正しく卒都婆にて候ふ。教化してのけうずるにて候ふ。いかに是れなる乞丐人。おことの腰かけたるは。忝くも仏体色性の卒都婆にてはなきかで立ちのきて余の所にやすみ候へ
現代語訳
(シテ詞)古人は言っています。「心は万境によって転ずる。その転ずる所こそ、実にかすかで奥深い。流れに随って本性を認め得れば、喜びもなく、また憂いもない」と。私もさすらいの身ですから、流れに随って下りましょう。村々里々を過ぎて、天王寺に着きました。これから住吉へと志して、阿倍野の原に出てきました。ここに朽木があります。腰をかけて休もうと思います。(ワキ)もう日も西の山に傾いた。道を急ごう。ここにいる乞食が腰かけているのは、まさしく卒都婆ではないか。教え諭して退かせよう。これ、そこの乞食よ。お前が腰かけているのは、畏れ多くも仏体そのものの卒都婆ではないか。立ち退いて、ほかの所で休みなさい。
解説
この章句が説くこと
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