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驢鞍橋 / 卷中

總而此の山うばが能くすまぬに仍て、云ひ錯り多き也。又キリにめぐりめぐり輪廻をはなれぬ、妄執の雲の塵積て山姥と成ると云ふも大なる錯也。始は上求菩提を現し下化衆生を表すと云ひ、又抑も山姥は生所も知らす宿もなし、只雲水を便りにて、至らぬ山の奥もなし抔と、慥に眞如の妙用を造りけるか、爰ては又妄執の雲の塵積て山うばとなると、盡く凡夫にしなしたり。是れ錯にあらすや。爰を廻り廻りて眞如の自性を現じ現す鬼女か有樣見よや見よやと云ひたしと也。

新字:総而此の山うばが能くすまぬに仍て、云ひ錯り多き也。又キリにめぐりめぐり輪廻をはなれぬ、妄執の雲の塵積て山姥と成ると云ふも大なる錯也。始は上求菩提を現し下化衆生を表すと云ひ、又抑も山姥は生所も知らす宿もなし、只雲水を便りにて、至らぬ山の奥もなし抔と、慥に真如の妙用を造りけるか、爰ては又妄執の雲の塵積て山うばとなると、尽く凡夫にしなしたり。是れ錯にあらすや。爰を廻り廻りて真如の自性を現じ現す鬼女か有様見よや見よやと云ひたしと也。

書き下し

総而此の山うばが能くすまぬに仍て、云ひ錯り多き也。又キリにめぐりめぐり輪廻をはなれぬ、妄執の雲の塵積て山姥と成ると云ふも大なる錯也。始は上求菩提を現し下化衆生を表すと云ひ、又抑も山姥は生所も知らす宿もなし、只雲水を便りにて、至らぬ山の奥もなし抔と、慥に真如の妙用を造りけるか、爰ては又妄執の雲の塵積て山うばとなると、尽く凡夫にしなしたり。是れ錯にあらすや。爰を廻り廻りて真如の自性を現じ現す鬼女か有様見よや見よやと云ひたしと也。

現代語訳

総じて、この山姥がよく分かっていないので、言い誤りが多いのである。また、キリで「巡り巡り輪廻を離れぬ、妄執の雲の塵積もって山姥となる」と言うのも大きな誤りだ。初めは「上に菩提を求めることを現し、下に衆生を教化することを表す」と言い、また「そもそも山姥は生まれた所も知らず宿もない。ただ雲や水を頼りとして、至らない山の奥もない」などと、確かに真如の妙なる働きとして造っておきながら、ここではまた「妄執の雲の塵積もって山姥となる」と、すっかり凡夫にしてしまった。これは誤りではないか。ここは「巡り巡りて真如の自性を現じ、現す鬼女の有様、見よや見よや」と言いたい、とのことである。

解説

正三の山姥批評の続きで、結末のキリの詞章を問題にしている。曲の前半では山姥を、菩提を求め衆生を導く真如の働きとして描いていたのに、最後に妄執の塵が積もって山姥になったと言っては、凡夫に引き下ろしてしまうと指摘する。そこで、巡り巡って真如の本性を現す鬼女の姿を見よ、と結ぶ代案を示した。前半の設定と結末が矛盾すれば、作品全体の意味が崩れるという鋭い読みである。長い文書や計画でも、最初に掲げた目的と結論が食い違っていないかを確かめる大切さを教えてくれる。

この章句が説くこと

芸道謡曲山姥真如一貫性凡夫

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