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驢鞍橋 / 卷中

十牛圖抄、尋牛一志を勵し心法を求るの義也。見跡二。經文語錄の上に道理を明す也。見籠能き人は、見性に似たる程の語を吐くべし。見解ある人は、此の邪正を知るへし見牛三。聞聲悟道見色明心の義ず。此の心は萬物の上に備へたず然れ共未だ我には隨はぬう。得牛四。爰ては心牛につなをつけて隨へんとする也。此の間の修行久しかるへし。此の牛妄想の叢をはなる事難し。學者能く知るべし。心を隨へすんは、惡趣を出ることかたし。大切の修行爰に在り、功を盡くすへし。牧牛五。此の牛隨分我に隨ふといへ共、一念おこれは、かけ出すず。心をゆるせば、牛が狂ふぞ。堅く鼻索を引て禪定に入れ。彌々功を盡くさすんは叶ひ難し。騎牛歸家六。爰の修行は、牛と我と一般になつたぞ。我は牛に任せてさはりないず。

新字:十牛図抄、尋牛一志を励し心法を求るの義也。見跡二。経文語録の上に道理を明す也。見籠能き人は、見性に似たる程の語を吐くべし。見解ある人は、此の邪正を知るへし見牛三。聞声悟道見色明心の義ず。此の心は万物の上に備へたず然れ共未だ我には随はぬう。得牛四。爰ては心牛につなをつけて随へんとする也。此の間の修行久しかるへし。此の牛妄想の叢をはなる事難し。学者能く知るべし。心を随へすんは、悪趣を出ることかたし。大切の修行爰に在り、功を尽くすへし。牧牛五。此の牛随分我に随ふといへ共、一念おこれは、かけ出すず。心をゆるせば、牛が狂ふぞ。堅く鼻索を引て禅定に入れ。弥々功を尽くさすんは叶ひ難し。騎牛帰家六。爰の修行は、牛と我と一般になつたぞ。我は牛に任せてさはりないず。

書き下し

十牛図抄、尋牛一志を励し心法を求るの義也。見跡二。経文語録の上に道理を明す也。見籠能き人は、見性に似たる程の語を吐くべし。見解ある人は、此の邪正を知るへし見牛三。声を聞いて道を悟り、色を見て心を明らむるの義ず。此の心は万物の上に備へたず然れ共未だ我には随はぬう。得牛四。爰ては心牛につなをつけて随へんとする也。此の間の修行久しかるへし。此の牛妄想の叢をはなる事難し。学者能く知るべし。心を随へすんは、悪趣を出ることかたし。大切の修行爰に在り、功を尽くすへし。牧牛五。此の牛随分我に随ふといへ共、一念おこれは、かけ出すず。心をゆるせば、牛が狂ふぞ。堅く鼻索を引て禅定に入れ。弥々功を尽くさすんは叶ひ難し。騎牛帰家六。爰の修行は、牛と我と一般になつたぞ。我は牛に任せてさはりないず。

現代語訳

十牛図の抄(注解)。第一「尋牛」は、志を励まして心の法を求めるという意味である。第二「見跡」は、経文や語録の上で道理を明らかにする段階である。才のある人は、見性したかと思うほどの言葉を吐くものだ。見る目のある人は、その正邪を見分けるがよい。第三「見牛」は、声を聞いて道を悟り、色を見て心を明らめるという意味だ。この心は万物の上に具わっているが、まだ自分には従わない。第四「得牛」。ここでは心という牛に綱をつけて従わせようとする。この間の修行は長くかかる。この牛は妄想の草むらから離れにくい。学ぶ者はよく知っておくがよい。心を従わせなければ、悪道を抜け出すことは難しい。大切な修行はここにある。力を尽くせ。第五「牧牛」。この牛はずいぶん自分に従うようになったとはいえ、一念が起これば駆け出してしまう。心を緩めれば牛が暴れるぞ。しっかりと鼻綱を引いて禅定に入れ。いよいよ力を尽くさなければかなわない。第六「騎牛帰家」。ここの修行は、牛と自分とが一つになったのだ。自分は牛に任せて、何の障りもない。

解説

十牛図は、牛を探して連れ帰る十枚の絵で、悟りへの道筋を示す禅の古典的な図である。正三はその前半を、修行の実感に即した言葉で注釈している。とくに重く見るのは第四の得牛で、見えた心に綱をつけて従わせる段階こそ長く苦しい修行の本番だとする。分かったことと身についたことは違う、という指摘である。新しい知識を得た瞬間より、それを日々の行いに定着させる期間にこそ力を注ぐべきだという教えとして読める。

この章句が説くこと

十牛図修行心禅定見性鈴木正三

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