驢鞍橋 / 卷中
時に人問ふ、心さへ空したらは、何ぞ人殘らんや。師曰く、心空したる人が、何とも空せられぬもの也。我も本より法をもたぬ性なるがまだ正三と云ふ腐れ者は空せられぬ也。此に到て何ともならぬ者也。又問ふ、歸源の頌に庵中不見庵前物。水自茫々花自紅とあり。此意如何。師曰く、此の人の胸の中には何もなし。物を見れば物はかり也。扨て此の人のなりはと云ふに、提瓢入市。策杖還家。何とも成たが、何とも無い人也。此の十牛に合せて修しをせる抔と云ふ事は、一世二世の修行では及びも無き事なり。□師一時牛の胴より後の方計を書いたは錯也と云つて、慕面に見たるになほし、又引合圖勢强く書せ、又埀手の處に市人を書き添えさせ、此の十牛を圖計り掛物に仕たまふ一度開板して世に出す。又其後無門と中峯の□像を設け、上に無の話と判語と座右の銘とを書し、十牛圖の左右に掛け、諸人に古人の修行の筋を見せ給ふ也。
新字:時に人問ふ、心さへ空したらは、何ぞ人残らんや。師曰く、心空したる人が、何とも空せられぬもの也。我も本より法をもたぬ性なるがまだ正三と云ふ腐れ者は空せられぬ也。此に到て何ともならぬ者也。又問ふ、帰源の頌に庵中不見庵前物。水自茫々花自紅とあり。此意如何。師曰く、此の人の胸の中には何もなし。物を見れば物はかり也。扨て此の人のなりはと云ふに、提瓢入市。策杖還家。何とも成たが、何とも無い人也。此の十牛に合せて修しをせる抔と云ふ事は、一世二世の修行では及びも無き事なり。□師一時牛の胴より後の方計を書いたは錯也と云つて、慕面に見たるになほし、又引合図勢強く書せ、又埀手の処に市人を書き添えさせ、此の十牛を図計り掛物に仕たまふ一度開板して世に出す。又其後無門と中峯の□像を設け、上に無の話と判語と座右の銘とを書し、十牛図の左右に掛け、諸人に古人の修行の筋を見せ給ふ也。
書き下し
時に人問ふ、心さへ空したらは、何ぞ人残らんや。師曰く、心空したる人が、何とも空せられぬもの也。我も本より法をもたぬ性なるがまだ正三と云ふ腐れ者は空せられぬ也。此に到て何ともならぬ者也。又問ふ、帰源の頌に庵中庵前の物を見ず、水自ら茫々、花自ら紅なりとあり。此意如何。師曰く、此の人の胸の中には何もなし。物を見れば物はかり也。扨て此の人のなりはと云ふに、瓢を提げて市に入り、杖を策いて家に還る。何とも成たが、何とも無い人也。此の十牛に合せて修しをせる抔と云ふ事は、一世二世の修行では及びも無き事なり。□師一時牛の胴より後の方計を書いたは錯也と云つて、慕面に見たるになほし、又引合図勢強く書せ、又埀手の処に市人を書き添えさせ、此の十牛を図計り掛物に仕たまふ一度開板して世に出す。又其後無門と中峯の□像を設け、上に無の話と判語と座右の銘とを書し、十牛図の左右に掛け、諸人に古人の修行の筋を見せ給ふ也。
現代語訳
その時ある人が問うた。心さえ空になったなら、どうして人(という我)が残りましょうか。師が言われた。心が空になった人でも、どうしても空にしきれないものなのだ。私ももとより法を持たない性分であるが、まだ正三という腐れ者は空にしきれない。ここに至っては、どうにもならないものである。また問うた。返本還源の頌に「庵の中にいて庵の前の物を見ず、水はおのずから茫々とし、花はおのずから紅である」とあります。この意はどうですか。師が言われた。この人の胸の中には何もない。物を見れば物ばかりである。さてこの人の姿はといえば、「瓢箪を提げて市に入り、杖をついて家に帰る」。何にでも成ったが、何ともない人である。この十牛図に合わせて修し遂げるなどということは、一世や二世の修行では及びもしないことである。師は(冒頭一字読めず)、ある時、牛の胴から後ろの方ばかりを描いたのは誤りだと言って、正面(原文「慕面」)から見た姿に直し、また引き合う図の勢いを強く描かせ、また垂手のところに市の人を描き添えさせ、この十牛図を図ばかりの掛物に仕立てられ、一度開板して世に出された。またその後、無門と中峰の像を設け、上に無字の話と評語と座右の銘とを書き、十牛図の左右に掛けて、人々に古人の修行の筋道を見せられたのである。
解説
この章句が説くこと
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