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驢鞍橋 / 卷中

一日人來て云ふ、去る大名の愚堂和尙は殊勝なれ共、用も無い化物咄をめさるゝ事笑止也と云ひたまふと語る。師聞て曰く扨ても其人によく云ひたい事哉と也。便ち大衆に謂て曰く何れも云つて看よ時に俗士あり、我ら如きは、一言申す事も化て申す也と云ふ。師肯之。又曰く、我言は何と御聞きなされたぞ。夫れは愚堂の心入有ての咄し也。佛法と申すは、化者を治る法也。人皆一切時中化て計居るもの也。本心に住する人なし故に古人も野狐精といへり。此の化者をきつと治るを佛法といふ也。此の證據に、佛毘沙門のあまのじやくをきつとふみつめたまふたる處を現したまふ也。總して人少機にして、少しの事を苦にし、機滯り病と成り、機違となるもの也。佛法と云ふは、此の念を滅すると云ひしと也

新字:一日人来て云ふ、去る大名の愚堂和尚は殊勝なれ共、用も無い化物咄をめさるゝ事笑止也と云ひたまふと語る。師聞て曰く扨ても其人によく云ひたい事哉と也。便ち大衆に謂て曰く何れも云つて看よ時に俗士あり、我ら如きは、一言申す事も化て申す也と云ふ。師肯之。又曰く、我言は何と御聞きなされたぞ。夫れは愚堂の心入有ての咄し也。仏法と申すは、化者を治る法也。人皆一切時中化て計居るもの也。本心に住する人なし故に古人も野狐精といへり。此の化者をきつと治るを仏法といふ也。此の証拠に、仏毘沙門のあまのじやくをきつとふみつめたまふたる処を現したまふ也。総して人少機にして、少しの事を苦にし、機滞り病と成り、機違となるもの也。仏法と云ふは、此の念を滅すると云ひしと也

書き下し

一日人来て云ふ、去る大名の愚堂和尚は殊勝なれ共、用も無い化物咄をめさるゝ事笑止也と云ひたまふと語る。師聞て曰く扨ても其人によく云ひたい事哉と也。便ち大衆に謂て曰く何れも云つて看よ時に俗士あり、我ら如きは、一言申す事も化て申す也と云ふ。師之を肯ふ。又曰く、我言は何と御聞きなされたぞ。夫れは愚堂の心入有ての咄し也。仏法と申すは、化者を治る法也。人皆一切時中化て計居るもの也。本心に住する人なし故に古人も野狐精といへり。此の化者をきつと治るを仏法といふ也。此の証拠に、仏毘沙門のあまのじやくをきつとふみつめたまふたる処を現したまふ也。総して人少機にして、少しの事を苦にし、機滞り病と成り、機違となるもの也。仏法と云ふは、此の念を滅すると云ひしと也

現代語訳

ある日、人が来て「ある大名が、愚堂和尚は立派ではあるが、用もない化け物話をなさるのが笑止だとおっしゃった」と語った。師は聞いて言われた。「なんとまあ、その人によく言いたいことがあるものだ」と。そして大衆に言われた。「皆言ってみよ」。その時ある俗士が「われわれのような者は、一言申すことも化けて申しております」と言った。師はこれをよしとされた。また言われた。「私の言葉をどのようにお聞きになったか。それは愚堂の心づもりがあっての話である。仏法というのは、化け物を治める法である。人は皆、四六時中化けてばかりいるものだ。本心に住する人はいない。だから古人も野狐精と言ったのである。この化け物をしっかり治めるのを仏法というのである。その証拠に、毘沙門天が天邪鬼をしっかり踏みつけておられる姿を現しておられるのだ。総じて人は器量が小さく、少しのことを苦にして、気が滞って病となり、心を乱すものである。仏法というのは、この念を滅することだ」と言われた。

解説

愚堂東寔は正三と同時代の臨済の名僧で、ある大名はその化け物話を無用だと笑った。正三は、化け物とは人の心のことであり、人は本心を離れて一日中化けて生きていると言う。毘沙門天が天邪鬼を踏みつける像も、心の化け物を押さえ込む姿を表したものだと読み解いた。小さなことを気に病み、気が滞って心身を損なうのも、この化け物に振り回されている姿である。仕事の不安や怒りに飲み込まれそうなとき、それを自分の心が化けたものと見ることが、踏みとどまる第一歩になる。

この章句が説くこと

化物念本心仏法愚堂心

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