驢鞍橋 / 卷中
師衆に謂て曰く、此比越前にて或る人好で牛を書く。其の人晝いねたるを、餘人見けるに、形牛に見ゆ此の由主に語れは、其の後は又佛計書き、又晝いねたる時、佛の形に見えたり、又主に此の由を語れは、主悅びいよいよ其の後は佛像計を書くと也。是れ善か惡か。時に俗士有り曰く生佛緣に仍る位と見えたり。然る則んは、先つ善き事也師肯せす。來二人の俗士あり曰く、有相に着して、心佛を知らさる間惡しき也師曰く是去なから云ひ樣は、越前衆のが增し也。牛に成つたでも無いが、佛に成つたでも無い、只我好む處の畫に成つたまでよと云はれたる人あり。何とよい云ひ樣ではをりないかと也。
新字:師衆に謂て曰く、此比越前にて或る人好で牛を書く。其の人昼いねたるを、余人見けるに、形牛に見ゆ此の由主に語れは、其の後は又仏計書き、又昼いねたる時、仏の形に見えたり、又主に此の由を語れは、主悦びいよいよ其の後は仏像計を書くと也。是れ善か悪か。時に俗士有り曰く生仏縁に仍る位と見えたり。然る則んは、先つ善き事也師肯せす。来二人の俗士あり曰く、有相に着して、心仏を知らさる間悪しき也師曰く是去なから云ひ様は、越前衆のが增し也。牛に成つたでも無いが、仏に成つたでも無い、只我好む処の画に成つたまでよと云はれたる人あり。何とよい云ひ様ではをりないかと也。
書き下し
師衆に謂て曰く、此比越前にて或る人好で牛を書く。其の人昼いねたるを、余人見けるに、形牛に見ゆ此の由主に語れは、其の後は又仏計書き、又昼いねたる時、仏の形に見えたり、又主に此の由を語れは、主悦びいよいよ其の後は仏像計を書くと也。是れ善か悪か。時に俗士有り曰く生仏縁に仍る位と見えたり。然る則んは、先つ善き事也師肯せす。来二人の俗士あり曰く、有相に着して、心仏を知らさる間悪しき也師曰く是去なから云ひ様は、越前衆のが增し也。牛に成つたでも無いが、仏に成つたでも無い、只我好む処の画に成つたまでよと云はれたる人あり。何とよい云ひ様ではをりないかと也。
現代語訳
師が衆に言われた。近ごろ越前で、ある人が好んで牛の絵を描いていた。その人が昼寝をしているのを他の人が見ると、姿が牛に見えた。このことを本人に話すと、その後はまた仏ばかりを描くようになり、昼寝している時に見ると仏の姿に見えた。また本人にこのことを話すと、本人は喜んで、いよいよその後は仏像ばかりを描いたという。これは善か悪か。その時ある俗士が言った。「生仏は縁による、という位と見えます。そうであれば、まずは善いことです」。師はうなずかれなかった。また二人の俗士が言った。「有相に執着して、心の仏を知らないから悪いのです」。師が言われた。「それはそうだが、言い方は越前の人たちのほうがまだましだ。『牛になったのでもなければ、仏になったのでもない、ただ自分の好むところの絵になっただけよ』と言われた人がいる。なんとよい言い方ではないか」と。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『呻吟語』内篇・修身・心を大にし虛にし平にし潛め定む其の心を大にして天下の物を容れ、其の心を虛にして天下の善を受け、其の心を平にして天下の事を論じ、其の心を潛めて天下の理を觀、其の心を定めて天下の變に應ず。
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