驢鞍橋 / 卷中
師語て曰く、此の前三州にて或る姥、去る長老に問ふ、某死して後いづくに參り候や。長老ひしとつまれる事あり、笑止千萬の事てはをりないか今時の長老達、大形是程の事も得云はぬ人計也。是法の心得大に違て居る故也と云つて、自ら代て曰く、我好む處に行くへし、地獄へも天堂にも我心が引て行く也
新字:師語て曰く、此の前三州にて或る姥、去る長老に問ふ、某死して後いづくに参り候や。長老ひしとつまれる事あり、笑止千万の事てはをりないか今時の長老達、大形是程の事も得云はぬ人計也。是法の心得大に違て居る故也と云つて、自ら代て曰く、我好む処に行くへし、地獄へも天堂にも我心が引て行く也
書き下し
師語て曰く、此の前三州にて或る姥、去る長老に問ふ、某死して後いづくに参り候や。長老ひしとつまれる事あり、笑止千万の事てはをりないか今時の長老達、大形是程の事も得云はぬ人計也。是法の心得大に違て居る故也と云つて、自ら代て曰く、我好む処に行くへし、地獄へも天堂にも我心が引て行く也
現代語訳
師が語って言われた。以前、三河である老婆が、ある長老に「私は死んだ後、どこへ参るのでしょうか」と問うた。長老はぐっと詰まってしまったことがある。笑止千万なことではないか。今どきの長老たちは、おおかたこれほどのことも言えない人ばかりだ。これは法の心得が大いに違っているからである、と言って、自ら代わって言われた。「自分の好むところへ行くのだ。地獄へも天上へも、自分の心が引いて行くのである」と。
解説
死んだらどこへ行くのかという老婆の素朴な問いに、長老は答えられなかった。正三は、それに答えられないのは法の心得が根本から違っているからだと手厳しい。正三の答えは、行き先を決めるのは外の裁きではなく、自分の心が好むところだというものである。日ごろ何を好み、何に心を向けているかが、そのまま行き先になるという。死後の話であると同時に、毎日の心の向け方が自分の行く先を決めるという、今を生きる者への教えでもある。
この章句が説くこと
死心地獄天上後生好み
関連する章句
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