驢鞍橋 / 卷中
師語て曰く諏訪の文に曰く、慈悲の殺生は、菩薩の萬行に勝れり。名利の善根は、達多か五逆に增れりと有り。此の名利の善根の處は、道理にもいはるゝ也。惡と云ふものは、窮つには必ず非を知り、心を飜すもの也。故に名利の善根より無漏に近し。扨て慈悲の殺生の處は、我と當らねは、道理に云ひ聞かせられすと也。時に俗士有り曰く、衆生有相に執着して居るを憐む心を以て殺生し、無漏心を以て助る義なるべし。扨て又菩薩の萬行は未た有漏盡くさる位なりや師云はく好き云ひ樣也。しかれ共是れ沙汰にして用に立つ事にあらず隨分句をねりて知るへしと也。
新字:師語て曰く諏訪の文に曰く、慈悲の殺生は、菩薩の万行に勝れり。名利の善根は、達多か五逆に增れりと有り。此の名利の善根の処は、道理にもいはるゝ也。悪と云ふものは、窮つには必ず非を知り、心を翻すもの也。故に名利の善根より無漏に近し。扨て慈悲の殺生の処は、我と当らねは、道理に云ひ聞かせられすと也。時に俗士有り曰く、衆生有相に執着して居るを憐む心を以て殺生し、無漏心を以て助る義なるべし。扨て又菩薩の万行は未た有漏尽くさる位なりや師云はく好き云ひ様也。しかれ共是れ沙汰にして用に立つ事にあらず随分句をねりて知るへしと也。
書き下し
師語て曰く諏訪の文に曰く、慈悲の殺生は、菩薩の万行に勝れり。名利の善根は、達多か五逆に增れりと有り。此の名利の善根の処は、道理にもいはるゝ也。悪と云ふものは、窮つには必ず非を知り、心を翻すもの也。故に名利の善根より無漏に近し。扨て慈悲の殺生の処は、我と当らねは、道理に云ひ聞かせられすと也。時に俗士有り曰く、衆生有相に執着して居るを憐む心を以て殺生し、無漏心を以て助る義なるべし。扨て又菩薩の万行は未た有漏尽くさる位なりや師云はく好き云ひ様也。しかれ共是れ沙汰にして用に立つ事にあらず随分句をねりて知るへしと也。
現代語訳
師が語って言われた。諏訪の文に「慈悲の殺生は、菩薩の万行に勝れり。名利の善根は、提婆達多の五逆にも勝れり(まさって悪い)」とある。この名利の善根のところは、道理でも言える。悪というものは、極まれば必ず非を知って心を翻すものである。だから名利の善根より無漏に近い。さて慈悲の殺生のところは、自分で当たらなければ、道理で言い聞かせることはできない、と。その時ある俗士が言った。「衆生が有相に執着しているのを憐れむ心で殺生し、無漏の心で助けるという意味でしょう。さて、また菩薩の万行は、まだ有漏が尽きない位なのですか」。師が言われた。よい言い方だ。しかしこれは取り沙汰であって、用には立たない。十分に句を練って知るべきである、と。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『驢鞍橋』卷中一日人来て、去る所にて牛を無理に殺しけれは、其牛霊となり、人の目に見え来り、村中の者を悩まし煩はする也。故に諸寺に頼み吊へとも治らす。師聞きて曰くさあ御坊主達、治めめされよ。我は世に有る事にて早やをさめたりと也。衆無語。師曰く業尽きたる有情は、放つと雖も生きず、故に人身に宿して、同じく仏果を証せよといふ諏訪の文にて吊ひたりと也。
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『驢鞍橋』卷上一日示して曰く、善根に有漏無漏有る事を知るべし、我を忘れて作すを無漏善と云ひ、我為めを思ひ当来に代りを得んと思つて作すを有漏善と云ふ也。喩へば非人に物を施すに我後世の為めと思ふて施すは、有漏に酬ふ。亦只彼を憐み我を忘れて施すは無漏善也。然るに彼有漏善は後には大に怨と成る也。我を思つて作す善には咎有る事眼前の道理有り、譬へば人に念比をする者、皆我為めにする故に、其者後背く事有れば、我はよくせしに却りて背く抔と云ふて嗔り腹立つ也。然れは前の善心は消えて、後の嗔り地獄の業と成る也。亦我を忘れて人を念比する者は、其者後背く事有れとも、本より我為めにせぬによつて弥憐みてどこ迄も善也。是を以て知べき也。
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『驢鞍橋』卷上夜話の次て一僧曰く、仏法にて世を治むるならば、死罪の義有間敷間、治まり難かるべし。師曰、其義に非ず、切るへきを切り、殺すべきを殺す也。然れとも慈悲を以てする也。喩へば天罰当りて一生癩と成り、非人と成る者多けれとも、少しも是れを厭ふ心なく、我悪心を楽み居るに非すや。故に生々世々悪因を離れず、世人も見て浅間敷思ひたる計り也。何の功徳もなし。然るに只今悪人をはり付けに掛ければ、世人見て先づ悪心を戒むる也。然れば世の為めに善根を為す。是れ一つ。亦自らも俄にゆき当り、思ひ悔ひて悪心の根を切る也。爰を以て思へば前の様に大なる罰にて、弥永く苦因を増すさへ有るに、是れは罰は少しにて悪因の根を切らするは大慈大悲に非すや。慈悲を以てせば罪とも成るべからすと也。
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『驢鞍橋』卷中師衆に向て云はく、いづれも云つて看よ。時に一僧云ふ、善根の事は、虚言に云ふも功徳也。師云はく、是れ其義に非す、是れ結縁の功徳と云ふ物也。前の者は、我作つた功徳にて遁る也。後の者は、我成したる功徳は無けれ共、法華功徳持ちたる人に結縁したる功徳にて遁るゝ也。何と結縁の功徳大切の事にあらすやと也。
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『驢鞍橋』卷上辰三月日去る人来て曰く、拙者檀那御物語を承り、弥心得能く候へとも、家老とも無道心にてさも無き事に人を殺害仕る。師聞て曰、さては左有りけるか、如何に主人法にすきめされても、下々治らず、少しの事に人を殺す様にては、我出入する甲斐なし。左様ならば向後ぶつゝと出入すべからずとをもしやれ。総して仏法を聞きては、ふつゝと人を殺さぬ事と心得めされよ。其故はいかなる谷人にても、あれ助け度とさへ思へば、殺したる同前に法度にも成り、迷惑をもさせて助けやうは如何程も有る也。然れどもだゝい殺しずきぢやに依つて助けられぬと云ふては、少しの事にも殺す也。扨々無道心なる事哉。如何なる事にも人を一人殺すと云ふは大分の事也。
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『驢鞍橋』卷上我処に在らば仏行大形にしてなりとも、先つ我書を見分け不審も有らば問ひ窮め置くへきに、文字さへ見分けさるは余り慚愧の事也。只汝は追出して乞食させたるか慈悲なるべし。思ひ切つて世縁をづんと離れ、身を捨て、乞食し、乞出せば食し、若し乞出ずんば餓死せんと思ひ切つて、天道に任せて行脚せは、楽に居て飮喰し、仏行を為したるよりも增しなるへし。必す無縁乞食修行すへしと也。
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