驢鞍橋 / 卷中
師衆に向つて曰く、今時人每に一向宗を誹ることあり。各此の短處を道へ。僧曰く、女犯肉食、是れ破戒也。師曰く、夫は在家一同と立てた宗旨也。其上左樣の事をいはゝ、在家の人は成佛はすましきや。夫れ佛法建立と云ふものは、一國一宗に成りたる時、天下事欠けぬ樣に建立するもの也。然るに一向宗の敎の如きは、破りはせねともかまはぬといふ間、神社は盡く廢壞する也。若し日本一州皆一向宗に成りたらば、神社は皆斷ゆへし。夫れ日本は神國なり、神を斷じて何と國を保たんやと也。
新字:師衆に向つて曰く、今時人毎に一向宗を誹ることあり。各此の短処を道へ。僧曰く、女犯肉食、是れ破戒也。師曰く、夫は在家一同と立てた宗旨也。其上左様の事をいはゝ、在家の人は成仏はすましきや。夫れ仏法建立と云ふものは、一国一宗に成りたる時、天下事欠けぬ様に建立するもの也。然るに一向宗の教の如きは、破りはせねともかまはぬといふ間、神社は尽く廃壊する也。若し日本一州皆一向宗に成りたらば、神社は皆断ゆへし。夫れ日本は神国なり、神を断じて何と国を保たんやと也。
書き下し
師衆に向つて曰く、今時人毎に一向宗を誹ることあり。各此の短処を道へ。僧曰く、女犯肉食、是れ破戒也。師曰く、夫は在家一同と立てた宗旨也。其上左様の事をいはゝ、在家の人は成仏はすましきや。夫れ仏法建立と云ふものは、一国一宗に成りたる時、天下事欠けぬ様に建立するもの也。然るに一向宗の教の如きは、破りはせねともかまはぬといふ間、神社は尽く廃壊する也。若し日本一州皆一向宗に成りたらば、神社は皆断ゆへし。夫れ日本は神国なり、神を断じて何と国を保たんやと也。
現代語訳
師が衆に向かって言われた。今どき、人ごとに一向宗を誹ることがある。各々、その短所を言ってみよ。僧が言った。女犯と肉食、これは破戒です。師が言われた。それは在家と同じ(暮らし)として立てた宗旨である。そのうえ、そういうことを言うなら、在家の人は成仏できないのか。そもそも仏法の建立というものは、一国が一宗になった時にも、天下の事が欠けないように建立するものである。ところが一向宗の教えのようなものは、(神を)破りはしないが構わないというので、神社はことごとく廃れてしまう。もし日本一州が皆一向宗になったなら、神社は皆絶えるだろう。そもそも日本は神国である。神を断って、どうして国を保てようか、と。
解説
この章句が説くこと
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