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驢鞍橋 / 卷中

師語て曰く、今時の人、聲聞緣覺は、二乘の見なりと淺間に思ふ人多し。迦葉を始め如來の弟子は、皆聲聞也。時に僧問ふ、緣覺はなしや。師曰く、法相には無しと云ひ、天台には迦葉、舍利弗は緣覺といへり。誠に此の二弟子は、緣覺性あり。我れと修する人也。餘はみな敎に付て修すと見えたり。

新字:師語て曰く、今時の人、声聞縁覚は、二乗の見なりと浅間に思ふ人多し。迦葉を始め如来の弟子は、皆声聞也。時に僧問ふ、縁覚はなしや。師曰く、法相には無しと云ひ、天台には迦葉、舎利弗は縁覚といへり。誠に此の二弟子は、縁覚性あり。我れと修する人也。余はみな教に付て修すと見えたり。

書き下し

師語て曰く、今時の人、声聞縁覚は、二乗の見なりと浅間に思ふ人多し。迦葉を始め如来の弟子は、皆声聞也。時に僧問ふ、縁覚はなしや。師曰く、法相には無しと云ひ、天台には迦葉、舎利弗は縁覚といへり。誠に此の二弟子は、縁覚性あり。我れと修する人也。余はみな教に付て修すと見えたり。

現代語訳

師が語って言われた。今どきの人は、声聞・縁覚は二乗の見解だと浅く思っている者が多い。迦葉をはじめ如来の弟子は、皆声聞である。その時、僧が問うた。縁覚はいないのですか。師が言われた。法相宗では無いと言い、天台宗では迦葉・舎利弗は縁覚だと言っている。まことにこの二人の弟子には縁覚の性がある。自ら修する人である。そのほかは皆、教えに付いて修すると見える、と。

解説

声聞は仏の教えを聞いて悟る者、縁覚は師によらず自ら縁起を観じて悟る者を指し、大乗では二つを合わせて二乗と呼び、低く見ることが多い。正三は、如来の直弟子こそ声聞であったと言い、二乗を軽んじる風潮をたしなめた。そのうえで、迦葉と舎利弗には自ら修する縁覚の性があったと見る。教えに付いて学ぶことも、自分で道を切り開くことも、どちらも修行の本道である。教わる力と自ら問う力の両方を、自分がどう使っているかを考えたい。

この章句が説くこと

声聞縁覚修行自得教え迦葉

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