法華経 / 信解品第四(9)
而說我等,得諸無漏,成就小乘、聲聞弟子。佛敕我等,說最上道,修習此者,當得成佛。 我承佛教,為大菩薩,以諸因緣、種種譬喻、若干言辭、說無上道。諸佛子等、從我聞法, 日夜思惟,精勤修習。是時諸佛,即授其記,汝於來世、當得作佛,一切諸佛,秘藏之法, 但為菩薩,演其實事,而不為我,說斯真要。如彼窮子、得近其父,雖知諸物,心不希取。 我等雖說,佛法寶藏,自無志願,亦復如是。我等內滅,自謂為足,唯了此事,更無餘事。 我等若聞,淨佛國土,教化眾生,都無欣樂。所以者何,一切諸法,皆悉空寂,無生無滅, 無大無小,無漏無為,如是思惟,不生喜樂。我等長夜,於佛智慧,無貪無著,無復志願, 而自於法、謂是究竟。我等長夜、修習空法,得脫三界,苦惱之患,住最後身、有餘涅槃。 佛所教化,得道不虛,則為已得,報佛之恩。我等雖為,諸佛子等,說菩薩法、以求佛道, 而於是法、永無願樂。導師見捨,觀我心故,初不勸進、說有實利。如富長者,知子志劣, 以方便力、柔伏其心,然後乃付,一切財物。佛亦如是、現稀有事,知樂小者,以方便力、
新字:而説我等,得諸無漏,成就小乗、声聞弟子。仏勅我等,説最上道,修習此者,当得成仏。 我承仏教,為大菩薩,以諸因縁、種種譬喩、若干言辞、説無上道。諸仏子等、従我聞法, 日夜思惟,精勤修習。是時諸仏,即授其記,汝於来世、当得作仏,一切諸仏,秘蔵之法, 但為菩薩,演其実事,而不為我,説斯真要。如彼窮子、得近其父,雖知諸物,心不希取。 我等雖説,仏法宝蔵,自無志願,亦復如是。我等内滅,自謂為足,唯了此事,更無余事。 我等若聞,浄仏国土,教化衆生,都無欣楽。所以者何,一切諸法,皆悉空寂,無生無滅, 無大無小,無漏無為,如是思惟,不生喜楽。我等長夜,於仏智慧,無貪無著,無復志願, 而自於法、謂是究竟。我等長夜、修習空法,得脱三界,苦悩之患,住最後身、有余涅槃。 仏所教化,得道不虚,則為已得,報仏之恩。我等雖為,諸仏子等,説菩薩法、以求仏道, 而於是法、永無願楽。導師見捨,観我心故,初不勧進、説有実利。如富長者,知子志劣, 以方便力、柔伏其心,然後乃付,一切財物。仏亦如是、現稀有事,知楽小者,以方便力、
書き下し
而も我等を説かく、諸の無漏を得、小乗の声聞の弟子を成就せりと。仏、我等に敕したまわく、最上の道を説け、此れを修習する者は、当に成仏を得べし、と。 我、仏の教えを承け、大菩薩の為に、諸の因縁、種種の譬喩、若干の言辞を以て、無上道を説く。諸の仏子等、我より法を聞き、 日夜に思惟し、精勤して修習す。是の時、諸仏、即ち其の記を授けたまわく、汝、来世に於て、当に作仏することを得べし、一切の諸仏の秘蔵の法、 但だ菩薩の為に、其の実事を演べ、而も我が為に、斯の真要を説きたまわず、と。彼の窮子の、其の父に近づくことを得て、諸物を知ると雖も、心に希い取らざるが如く、 我等も、仏法の宝蔵を説くと雖も、自ら志願無きこと、亦復是くの如し。我等、内に滅して、自ら足れりと謂い、唯だ此の事を了じて、更に余事無し。 我等、若し浄仏国土、衆生を教化することを聞くも、都て欣楽無し。所以は何ん。一切の諸法は、皆悉く空寂にして、無生無滅、 無大無小、無漏無為なり、是くの如く思惟して、喜楽を生ぜず。我等は長夜に、仏の智慧に於て、貪無く著無く、復た志願無くして、 自ら法に於て、是れ究竟なりと謂えり。我等、長夜に、空法を修習して、三界の、苦悩の患を脱することを得、最後身、有余涅槃に住す。 仏の教化したまう所、道を得ること虚しからず、則ち已に、仏の恩に報いたりと為す。我等、諸の仏子等の為に、菩薩の法を説いて、以て仏道を求めしむと雖も、 而も是の法に於ては、永く願楽無し。導師、捨てられたり、我が心を観たまうが故に、初めより勧進せず、実利有ることを説きたまわず。富める長者の、子の志の劣れるを知り、 方便力を以て、其の心を柔伏し、然して後に乃ち、一切の財物を付するが如く、仏も亦是くの如し、稀有の事を現じ、小を楽う者を知りて、方便力を以て、
現代語訳
それなのに私たちは、いろいろな煩悩を離れ、小乗の声聞の弟子となった、と言われてきました。仏は私たちに、この上ない道を説くよう命じ、これを修める者はきっと仏になれる、と言われました。私は仏の教えを受け、大菩薩たちのために、さまざまな因縁や譬え、多くの言葉で、無上の道を説きました。多くの仏の子たちは、私から法を聞き、日夜思い巡らし、懸命に修めました。その時、諸仏はすぐに彼らに予言を授けました。あなたは来世で仏になるだろう、と。そして、一切の諸仏の秘められた法は、ただ菩薩のために真実を説くもので、私のためにはこの肝心な点を説かれなかった、と。あの窮子が父に近づいて財物の中身を知っても、心に取りたいと願わなかったように、私たちも、仏法の宝の蔵を説いていても、自分では志も願いもなかったのは、これと同じです。私たちは内心で静まり、自ら足りたとして、ただこのことを悟れば他にすることはないと思っていました。もし仏国土を清め衆生を教え導くことを聞いても、少しも喜ぶ気になれませんでした。なぜなら、すべての法はみな空しく静かで、生じも滅しもせず、大も小もなく、煩悩もはたらきもない、とこのように考えて、喜びの心が起こらなかったからです。私たちは長い夜の間、仏の智慧に貪りも執着もなく、願いもなく、自分の法をこれこそ究極だと思っていました。私たちは長い間、空の法を修めて、三界の苦しみや悩みを免れ、最後の身で有余涅槃にとどまっています。仏が教え導かれたことで、道を得たことは偽りでなく、これで仏の恩に報いたことになると思いました。私たちは、仏の子たちのために菩薩の法を説いて仏道を求めさせてきたのに、この法については自分ではずっと願い楽しむ心がありませんでした。導き手の仏は、私たちが見捨てられたのですが、それは私たちの心を見ておられたためで、最初から進んで勧めることなく、実の利益があることを説かれませんでした。富んだ長者が、子の志の低いことを知り、方便の力でその心を柔らかく従わせ、その後に一切の財物を託するように、仏もまた同じです。稀有なことを現し、小さな教えを好む者を知って、方便の力で、
解説

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法華経・譬喻品第三(2)我是の法音を聞き、未曽有なる所を得て、心に大歓喜を懐き、疑網皆已に除かる。昔より来、仏の教えを蒙り、大乗を失わず、仏音は甚だ稀有にして、能く衆生の悩みを除く、 我已に漏尽を得、聞きて亦憂悩を除く。我山谷に処し、或いは樹林の下に在りて、若しは坐し若しは経行し、常に是の事を思惟して、嗚呼深く自ら責む、云何ぞ自ら欺くや、と。 我等も亦仏子にして、同じく無漏の法に入るに、未来に於いて、無上道を演説すること能わず。金色三十二相、十力諸解脱、同共に一法の中にして、此の事を得ず、 八十種の妙好、十八不共法、是の如き等の功徳を、而も我皆已に失えり。我独り経行せし時、仏の大衆の中に在して、名聞十方に満ち、広く衆生を饒益したまうを見て、 自ら惟えらく、此の利を失えりと、我は自ら欺誑せるなり、と。我常に日夜に於いて、毎に是の事を思惟し、以て世尊に問わんと欲す、失と為すや失せずと為すや、と。我常に世尊の、諸の菩薩を称讃したまうを見る、 是を以て日夜に、是の事を籌量せり。今仏の音声の、宜しきに随いて法を説きたまうを聞くに、無漏にして思議し難く、衆をして道場に至らしむ。我本邪見に著し、諸の梵志の師と為りしが、
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