驢鞍橋 / 卷中
僧問ふ、一休和尙曰く、「虚をつき地獄に落る者ならは無き事造る釋迦如何にせん」と。何と佛にも妄語有りや。師曰く、「釋迦阿彌陀うそつけはこそ佛なれまことを云はは凡夫なるべし。」
新字:僧問ふ、一休和尚曰く、「虚をつき地獄に落る者ならは無き事造る釈迦如何にせん」と。何と仏にも妄語有りや。師曰く、「釈迦阿弥陀うそつけはこそ仏なれまことを云はは凡夫なるべし。」
書き下し
僧問ふ、一休和尚曰く、「虚をつき地獄に落る者ならは無き事造る釈迦如何にせん」と。何と仏にも妄語有りや。師曰く、「釈迦阿弥陀うそつけはこそ仏なれまことを云はは凡夫なるべし。」
現代語訳
僧が問うた。一休和尚は「嘘をつき地獄に落ちる者ならば、無き事を作る釈迦はいかにせん」と詠んだ。なんと、仏にも妄語があるのか。師が言われた。「釈迦阿弥陀、嘘をつけばこそ仏なれ、まことを言わば凡夫なるべし」。
解説
一休の歌は、経典に説かれることを実在しない作り事と見て、それなら釈迦こそ最大の嘘つきだと皮肉ったものである。僧はこれを真に受け、仏にも嘘があるのかと問うた。正三は理屈で弁護せず、同じ歌の形で、嘘をつくからこそ仏であり、ありのままを言えば凡夫だと切り返した。人を導くための方便は、事実を並べるだけの正直さとは次元が違うという逆説である。相手に届く言い方を工夫することと、ごまかすことの違いを考えさせられる。
この章句が説くこと
方便妄語一休仏真実和歌
関連する章句
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『驢鞍橋』卷中問ふ、如何なるか是れ成仏、師答て曰く、此の身もうそ娑婆もうそ。問ふ、成仏しては何の益ありや。師答て曰く、成仏しては、苦をはなるゝ也。苦かいやなるに依つて是れを求る也。問ふ、如何なるか是れ仏法。師答て曰く、莫妄想。問ふ、如何なるか是れ不汚染の機。師云はく、我に離れ、一切にはらりと離れきつた機也。問ふ、万事の中に工夫を做す。此の意如何。答て曰く、心に心を付て、万事の上にて工夫す。問ふ、工夫の中に万事を做す。此の意如何。答て曰く、勇猛の機□して工夫の心なし。師因に云はく、工夫にて物を作すと、又ぬけて作すと覚え有りやと也。
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『驢鞍橋』卷中又僧云ふ、若しひしと僉議に及はゝ如何師曰く仏は万徳円満に窮つた也。然る間、万徳に相応する様に修するを正法と立て、是れに差ふを邪法と定むへし。只此の一句を以て、天下の仏法を一筋に正法に作さんと思ふて、念願の口に書く、なにと言ひ得る人も有らんや。大略自由に云ふ人有るへからず。此の万徳は、我も近い比働て書きたり。さあ御坊主達云つて見られよ。衆無語。
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『驢鞍橋』卷中師衆に問ふ。法は本法無法、無法も亦法なり。今無法を付する時、法法何ぞ曾て法ならん。此の意会するや。源長老云ふ、実に無法也。師云はく、無法か釈迦の法か。長老云ふ、無法と申す事もなし。師云はく、さては何が釈迦の法か。長老云ふ、釈迦に法は御座ない。師云はく、口は利根也。
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『驢鞍橋』卷上一日或る俗来て曰く、承り及ふ故に是れ迄伺候仕る、一句示し給へ。師曰く、一人虚を伝ふれば、万人実と伝ふとて何者かおどけ者有りて、正三こそ名誉者なれ抔といへば、末々に聞き伝へ、扨は空をも翅り、光をも放つか抔と思ひ、正三見物に来り、変も無き老人なるを見て、皆興を醒さるゝ也。誠に我何の変もなき土禅門也。只死度くも無き間、何とぞして殺さるゝ事有りとも、何とも思はす、頸を指出して自由に死ぬ程に成りたさに修する也。されとも死は置いて餓鬼畜生を出でぬ也。是れを出度く思ふ心は、何とも思はず居る者には增さるへき歟。別に人に增りたる事無し。其方も聞かんと思はゝ一向のしろうとに成りめさるへし。彼者、秘し給ふと思ひ弥示し給へと云ふ。師曰く、我仏法の能き事を知らず、只我悪敷事を能く知りたる也。我友に成り、出入めされば、何時も我処に有る餓鬼畜生を懺悔して聞かせ申すべし。実に是の外によき事を知らず、ひげして云ふかと思ひめされんずな。無間に沈むほうぞ知らぬ也。
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『驢鞍橋』卷中問ふ、肥前国温泉の地獄へ仏語と祖語を書き入るゝに、仏語にては湯湧さすに祖語にては功徳なしと承る。此の誵訛如何。師云はく、仏語祖語大に功徳間あり。祖師の徳は、仏の小指にても及ふへからす。此前玄俊坊の云ふ、人悪心を以て業をなせは、楊枝にても何にても、其体のある中は、其悪心がきつと付て居る也。善心を以てなす事も如是と仏経に有り。仏語には、仏の万徳円満の心付て有る故に、誦する者に天然と功徳備はる也。
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『驢鞍橋』卷中問ふ、元享釈書に或者死して冥界に趣くに、路にて一僧に逢ふ、其の僧云ふ、此の先にて冥官汝か娑婆にての善悪の業を問ふへし。其時、法華を書きかけて置くと答へよと教へ玉ふ。彼云ふ、妄語の罪如何。僧云はく、我娑婆にて法華を書し時、汝硯の水を取りたる事あり、是功徳尽きずと也。彼者、冥官の前に到れは、冥官生中の善悪の業を問ふ、彼れ僧の教の如く答へけれは、冥官の曰く、しからは娑婆に帰て書写成就すへしとて帰したまふ。彼者帰るに、又一の冥界に趣く者に逢ふ、時に帰る者、僧の教へたまふ如く今趣く者に教ゆ趣く者云ふ、妄語の罪如何。帰る者云ふ、只去て云ふへし。我も角云ふて遁れたる也。趣く者さらはとて至り、冥官問ひたまふ時、教の如く答へけれは、是れも同く帰したまふ。彼者共娑婆に帰り、紙を求て経を書かんとて町に出て、市中にてふと出逢て前事を語ると有る也、前の者は水を取りたる功徳にても有るへし。後の者悉皆のうそをつき、何として許されたりや。
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