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驢鞍橋 / 卷中

問ふ、元享釋書に或者死して冥界に趣くに、路にて一僧に逢ふ、其の僧云ふ、此の先にて冥官汝か娑婆にての善惡の業を問ふへし。其時、法華を書きかけて置くと答へよと敎へ玉ふ。彼云ふ、妄語の罪如何。僧云はく、我娑婆にて法華を書し時、汝硯の水を取りたる事あり、是功德盡きずと也。彼者、冥官の前に到れは、冥官生中の善惡の業を問ふ、彼れ僧の敎の如く答へけれは、冥官の曰く、しからは娑婆に歸て書寫成就すへしとて歸したまふ。彼者歸るに、又一の冥界に趣く者に逢ふ、時に歸る者、僧の敎へたまふ如く今趣く者に敎ゆ趣く者云ふ、妄語の罪如何。歸る者云ふ、只去て云ふへし。我も角云ふて遁れたる也。趣く者さらはとて至り、冥官問ひたまふ時、敎の如く答へけれは、是れも同く歸したまふ。彼者共娑婆に歸り、紙を求て經を書かんとて町に出て、市中にてふと出逢て前事を語ると有る也、前の者は水を取りたる功德にても有るへし。後の者悉皆のうそをつき、何として許されたりや。

新字:問ふ、元享釈書に或者死して冥界に趣くに、路にて一僧に逢ふ、其の僧云ふ、此の先にて冥官汝か娑婆にての善悪の業を問ふへし。其時、法華を書きかけて置くと答へよと教へ玉ふ。彼云ふ、妄語の罪如何。僧云はく、我娑婆にて法華を書し時、汝硯の水を取りたる事あり、是功徳尽きずと也。彼者、冥官の前に到れは、冥官生中の善悪の業を問ふ、彼れ僧の教の如く答へけれは、冥官の曰く、しからは娑婆に帰て書写成就すへしとて帰したまふ。彼者帰るに、又一の冥界に趣く者に逢ふ、時に帰る者、僧の教へたまふ如く今趣く者に教ゆ趣く者云ふ、妄語の罪如何。帰る者云ふ、只去て云ふへし。我も角云ふて遁れたる也。趣く者さらはとて至り、冥官問ひたまふ時、教の如く答へけれは、是れも同く帰したまふ。彼者共娑婆に帰り、紙を求て経を書かんとて町に出て、市中にてふと出逢て前事を語ると有る也、前の者は水を取りたる功徳にても有るへし。後の者悉皆のうそをつき、何として許されたりや。

書き下し

問ふ、元享釈書に或者死して冥界に趣くに、路にて一僧に逢ふ、其の僧云ふ、此の先にて冥官汝か娑婆にての善悪の業を問ふへし。其時、法華を書きかけて置くと答へよと教へ玉ふ。彼云ふ、妄語の罪如何。僧云はく、我娑婆にて法華を書し時、汝硯の水を取りたる事あり、是功徳尽きずと也。彼者、冥官の前に到れは、冥官生中の善悪の業を問ふ、彼れ僧の教の如く答へけれは、冥官の曰く、しからは娑婆に帰て書写成就すへしとて帰したまふ。彼者帰るに、又一の冥界に趣く者に逢ふ、時に帰る者、僧の教へたまふ如く今趣く者に教ゆ趣く者云ふ、妄語の罪如何。帰る者云ふ、只去て云ふへし。我も角云ふて遁れたる也。趣く者さらはとて至り、冥官問ひたまふ時、教の如く答へけれは、是れも同く帰したまふ。彼者共娑婆に帰り、紙を求て経を書かんとて町に出て、市中にてふと出逢て前事を語ると有る也、前の者は水を取りたる功徳にても有るへし。後の者悉皆のうそをつき、何として許されたりや。

現代語訳

問う。『元亨釈書』に次のような話がある。ある者が死んで冥界へ向かう途中、道で一人の僧に会った。その僧は「この先で冥官が、お前の娑婆での善悪の業を問うだろう。その時は『法華経を書きかけて置いてあります』と答えよ」と教えた。その者が「それでは妄語の罪はどうなりますか」と言うと、僧は「私が娑婆で法華経を書写した時、お前は硯の水を汲んでくれたことがある。その功徳は尽きていないのだ」と言った。その者が冥官の前に着くと、冥官は生前の善悪の業を問うた。僧の教えのとおりに答えると、冥官は「それならば娑婆に帰って書写を成就せよ」と言って帰された。その者が帰る途中、また冥界へ向かう者に出会った。帰る者は、僧が教えてくれたとおりのことを、いま向かう者に教えた。向かう者が「妄語の罪はどうなりますか」と言うと、帰る者は「ただ行ってそう言えばよい。私もそう言って逃れたのだ」と言った。向かう者は「それなら」と行き、冥官が問われた時に教えのとおり答えると、この者も同じく帰された。二人は娑婆に帰り、紙を求めて経を書こうと町に出たところ、市中でふと出会って前のことを語り合った、とある。前の者は水を汲んだ功徳によるのでもあろう。後の者はまったくの嘘をついたのに、どうして許されたのか。

解説

この条は『元亨釈書』に載る冥界の話を持ち出した問いである。一人目の男には硯の水を汲んだというわずかな善があったが、二人目の男は人から聞いた答えをそのまま口にしただけだった。問う者は、嘘をついた者まで許されたのは筋が通らないと感じている。この疑問は、功徳を自分の手柄の貸し借りとして数える見方から出ている。正三の答えは次の段に続くが、まずは物語の奇妙さを受け止め、自分ならどう説明するかを考えてみたい。

この章句が説くこと

功徳冥界妄語法華経因果元亨釈書

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