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驢鞍橋 / 卷中

問ふ、黃檗母を蹴殺したまふ事、眞の孝義也と承る。然らは佛は何そ蹴殺して父母を救ひたまはさるや。師云はく、豈に殺生有らんや、黃檗は當時幻化の心强ふ乘て居たまふ時なに仍て、有相に着し廻るを陝々と云つて、ふと蹴殺されたり。又云はく、當則抔は尋てすむ事に非す、自ら當て知るへき也。慈悲の殺生は、菩薩の萬行に勝れりと云ふ抔と同意也。

新字:問ふ、黄檗母を蹴殺したまふ事、真の孝義也と承る。然らは仏は何そ蹴殺して父母を救ひたまはさるや。師云はく、豈に殺生有らんや、黄檗は当時幻化の心強ふ乗て居たまふ時なに仍て、有相に着し廻るを陝々と云つて、ふと蹴殺されたり。又云はく、当則抔は尋てすむ事に非す、自ら当て知るへき也。慈悲の殺生は、菩薩の万行に勝れりと云ふ抔と同意也。

書き下し

問ふ、黄檗母を蹴殺したまふ事、真の孝義也と承る。然らは仏は何そ蹴殺して父母を救ひたまはさるや。師云はく、豈に殺生有らんや、黄檗は当時幻化の心強ふ乗て居たまふ時なに仍て、有相に着し廻るを陝々と云つて、ふと蹴殺されたり。又云はく、当則抔は尋てすむ事に非す、自ら当て知るへき也。慈悲の殺生は、菩薩の万行に勝れりと云ふ抔と同意也。

現代語訳

問う。黄檗が母を蹴り殺されたことは、真の孝の義であると聞いている。それならば、仏はなぜ(衆生を)蹴り殺して父母を救われないのか。師が言われた。どうして殺生であろうか。黄檗はその時、幻化(まぼろし)の心が強く働いておられた時であったから、母が有相(形あるもの)に執着して追い回すのを「陝々」と言って、ふと蹴り殺されたのである。また言われた。この則などは、人に尋ねて済むことではない。自分で当たって知るべきである。「慈悲の殺生は、菩薩の万行に勝れり」というのなどと同じ意味である。

解説

黄檗が母を蹴り殺したという話は禅門に伝わる激しい伝承で、第66条でも再び取り上げられる。問う者は、それを孝と呼ぶなら仏も同じことをすべきだと理屈で詰めた。正三は殺生そのものではなく、執着を断ち切る働きとして読むよう示し、しかも問答で片づけず自分で当たって知れと突き放す。極端な話ほど、字面の善悪ではなく、その奥の心の働きを見なければ誤る。理屈で白黒をつけたくなる場面で、一度自分の体験に引き寄せて考え直す姿勢を教えてくれる一条である。

この章句が説くこと

黄檗孝慈悲殺生執着自得

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