驢鞍橋 / 卷中
僧問ふ、智者雖下劣登靑天。愚者雖高位沈泥犁。此の意如何。師云はく、智者とは、無我無人と成て、一切を離れた人也。此の人は、國王にも何にも望があつてこそ、此の機は靑天の上に登つた機也。愚者は高位に在りても、物毎に逢着して、物の下と成り沈み果て居る者也。
新字:僧問ふ、智者雖下劣登青天。愚者雖高位沈泥犁。此の意如何。師云はく、智者とは、無我無人と成て、一切を離れた人也。此の人は、国王にも何にも望があつてこそ、此の機は青天の上に登つた機也。愚者は高位に在りても、物毎に逢着して、物の下と成り沈み果て居る者也。
書き下し
僧問ふ、智者は下劣なりと雖も青天に登り、愚者は高位なりと雖も泥犁に沈む。此の意如何。師云はく、智者とは、無我無人と成て、一切を離れた人也。此の人は、国王にも何にも望があつてこそ、此の機は青天の上に登つた機也。愚者は高位に在りても、物毎に逢着して、物の下と成り沈み果て居る者也。
現代語訳
僧が問うた。「智者は身分が低くても青天に登り、愚者は位が高くても地獄に沈む。この意味はどういうことですか」。師は言われた。「智者とは、我も人もなくなって、一切を離れた人である。この人は、国王の位であれ何であれ、望みなどあろうはずがない。その機は青天の上に登った機である。愚者は高い位にあっても、ものごとに出会うたびに引っかかり、ものの下となって沈みきっている者である」。
解説
身分の高低と心の高低は別物だという句について、僧が意味を問うた条である。正三は、智者とは我も人も忘れて一切を離れた人であり、国王の位にさえ望みを持たないから、その心は青天の上にあると説いた。逆に愚者は、どれほど高い地位にあっても、出会うものごとにいちいち引っかかって、ものの下敷きになっている。地位が高くなるほど心が物事に縛られていく危うさを突いた言葉である。肩書きではなく、何にとらわれているかで人の高さは決まるのだと教えている。
この章句が説くこと
智者愚者無我地位執着自由
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