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驢鞍橋 / 卷中

問ふ、渺々蒼海一粟。識我生須臾。此の意如何。師答て云はく、粟散國とて、世界の國々は、大海に粟粒を散らしたるが如し。然るときんば、大國の主と成りたり共、粟一粒の主也。大きなる事にあらす。况や其中に多く有て、吾生の數ならぬを能く知るとの義也。然るに是れを辨へす、我を大分に思ひ樂み居る物也。よふ若き時聞くと、はや移りけるか、今に用に立つと也。

新字:問ふ、渺々蒼海一粟。識我生須臾。此の意如何。師答て云はく、粟散国とて、世界の国々は、大海に粟粒を散らしたるが如し。然るときんば、大国の主と成りたり共、粟一粒の主也。大きなる事にあらす。況や其中に多く有て、吾生の数ならぬを能く知るとの義也。然るに是れを弁へす、我を大分に思ひ楽み居る物也。よふ若き時聞くと、はや移りけるか、今に用に立つと也。

書き下し

問ふ、渺々たる蒼海の一粟、我が生の須臾なるを識る。此の意如何。師答て云はく、粟散国とて、世界の国々は、大海に粟粒を散らしたるが如し。然るときんば、大国の主と成りたり共、粟一粒の主也。大きなる事にあらす。況や其中に多く有て、吾生の数ならぬを能く知るとの義也。然るに是れを弁へす、我を大分に思ひ楽み居る物也。よふ若き時聞くと、はや移りけるか、今に用に立つと也。

現代語訳

問うた。「果てしない青海原の一粒の粟のように、わが生のはかなさを知る。この意味はどういうことですか」。師は答えて言われた。「粟散国といって、世界の国々は、大海に粟粒を散らしたようなものである。そうであれば、大国の主となったとしても、粟一粒の主にすぎない。大したことではない。まして、その中に多くの人がいて、自分の一生など数にも入らないことをよく知る、という意味である。ところがこれをわきまえず、自分を大したものに思って楽しんでいるものだ。私は若い時にこれをよく聞いて、すぐに心に移ったのか、今でも役に立っている」。

解説

問われた句は、宋の蘇軾が『赤壁賦』で人の生のはかなさを詠んだ言葉を踏まえたものと思われる。正三は仏教の「粟散国」という考えを用いて、世界の国々は大海に散らばった粟粒のようなもので、大国の主でさえ粟一粒の主にすぎないと説いた。そのうえで、人はこれをわきまえず自分を大きく思って楽しんでいると指摘する。若い時にこの言葉を聞いて今も役立っているという結びには、正三自身の実感がこもっている。自分の大きさを正しく知ることが、驕りを防ぎ、かえって心を軽くすることを教えている。

この章句が説くこと

無常粟散国驕り謙虚一生蘇軾

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