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驢鞍橋 / 卷中

一僧問ふ、三賢十聖其意を得る處の敎經に通達して、なんぞ此の事に通せさるや。師云はく、喩は死の字は人每に見て知る、亦字を知らぬ者も死ぬと云ふ道理は誰もしれ共、實に死を知る者なきか如し。又幻化の文を知て、實に幻化に徹せざるか如しと也。又問ふ、所知愚とはなんそや。師云はく、定て敎家にさばきあるべし。推量に云へば煩惱を斷し盡くして、其斷したと云ふ心まだありて、何ともない境界にあらぬを云ふか、煩惱はなけれ共、此の心また除かざるを習氣とも所知の愚とも立てしと也。

新字:一僧問ふ、三賢十聖其意を得る処の教経に通達して、なんぞ此の事に通せさるや。師云はく、喩は死の字は人毎に見て知る、亦字を知らぬ者も死ぬと云ふ道理は誰もしれ共、実に死を知る者なきか如し。又幻化の文を知て、実に幻化に徹せざるか如しと也。又問ふ、所知愚とはなんそや。師云はく、定て教家にさばきあるべし。推量に云へば煩悩を断し尽くして、其断したと云ふ心まだありて、何ともない境界にあらぬを云ふか、煩悩はなけれ共、此の心また除かざるを習気とも所知の愚とも立てしと也。

書き下し

一僧問ふ、三賢十聖其意を得る処の教経に通達して、なんぞ此の事に通せさるや。師云はく、喩は死の字は人毎に見て知る、亦字を知らぬ者も死ぬと云ふ道理は誰もしれ共、実に死を知る者なきか如し。又幻化の文を知て、実に幻化に徹せざるか如しと也。又問ふ、所知愚とはなんそや。師云はく、定て教家にさばきあるべし。推量に云へば煩悩を断し尽くして、其断したと云ふ心まだありて、何ともない境界にあらぬを云ふか、煩悩はなけれ共、此の心また除かざるを習気とも所知の愚とも立てしと也。

現代語訳

ある僧が問うた。「三賢十聖は、その意を得るための経典に通達しているのに、どうしてこの事に通じないのですか」。師は言われた。「たとえば死という字は誰もが見て知っているし、字を知らない者でも人は死ぬという道理は誰でも知っているが、本当に死を知っている者はいないようなものだ。また、この世は幻だと説く文句を知っていても、本当に幻であると徹していないようなものである」。また問うた。「所知愚とは何ですか」。師は言われた。「きっと教学の家に詳しい説明があるだろう。推量で言えば、煩悩を断ち尽くしても、その『断った』という心がまだ残っていて、何事もない境地になっていないことを言うのではないか。煩悩はなくなっても、この心がまだ除かれないのを、習気とも所知の愚とも立てたのであろう」。

解説

経典に通じた菩薩がなぜ一大事に通じないのかという問いに、正三は死の字のたとえで答えた。死という字も死ぬという道理も誰もが知っているが、本当に死を知る者はいない。知っていることと徹していることの間には、それほどの隔たりがあるというのである。所知愚についても、正三は教学の説明に頼らず、煩悩を断ったという心が残る状態ではないかと推量で語り、分からないことは推量だと断っている。成果を上げた後に残る「やり遂げた」という自負こそが、次の成長を妨げるという読みとして受け取ることもできる。

この章句が説くこと

所知愚死知識習気煩悩自負

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