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驢鞍橋 / 卷中

此事不與敎乘合。故久修習大乘業者。不知不識。何况聲聞緣覺諸小乘耶。一僧問ふて曰く、敎乘と不合ならは、佛は此の事を經中には說きたまはさるや。師曰はく、此の事は敎外別傳也。此の意を移さう爲めの敎也。意を得れは、敎經文字をはなれて我に有る事を知る也。故に敎にはなき事也。三賢十聖豈不通敎。說此一事。三乘膽戰。十地魂驚。等覺菩薩說法如雲如雨。度不可思議衆生入無生法忍。尙喚作所知愚與道全乖。又何况其餘耶。

新字:此事不与教乗合。故久修習大乗業者。不知不識。何況声聞縁覚諸小乗耶。一僧問ふて曰く、教乗と不合ならは、仏は此の事を経中には説きたまはさるや。師曰はく、此の事は教外別伝也。此の意を移さう為めの教也。意を得れは、教経文字をはなれて我に有る事を知る也。故に教にはなき事也。三賢十聖豈不通教。説此一事。三乗胆戦。十地魂驚。等覚菩薩説法如雲如雨。度不可思議衆生入無生法忍。尚喚作所知愚与道全乖。又何況其余耶。

書き下し

此の事は教乗と合わず。故に久しく大乗の業を修習する者も、知らず識らず。何に況んや声聞・縁覚の諸々の小乗をや。一僧問ふて曰く、教乗と不合ならは、仏は此の事を経中には説きたまはさるや。師曰はく、此の事は教外別伝也。此の意を移さう為めの教也。意を得れは、教経文字をはなれて我に有る事を知る也。故に教にはなき事也。三賢十聖豈に教に通ぜざらんや。此の一事を説けば、三乗も胆戦き、十地も魂驚く。等覚の菩薩は法を説くこと雲の如く雨の如く、不可思議の衆生を度して無生法忍に入らしむるも、尚お喚んで所知愚と作し、道と全く乖く。又何に況んや其の余をや。

現代語訳

この事(自己の一大事)は教えの体系とは合わない。だから長く大乗の行を修め習った者でさえ、知らず、分からない。まして声聞・縁覚などの小乗の者はなおさらである。ある僧が問うた。「教えの体系と合わないのなら、仏はこの事を経典の中では説かれなかったのですか」。師は言われた。「この事は教外別伝である。経典は、この意を移し伝えるための教えである。意を会得すれば、経典の文字を離れて自分の中にあることが分かる。だから教えの中にはない事なのである」。三賢十聖の菩薩たちが教えに通じていないはずがあろうか。だがこの一事を説けば、三乗の者は肝を冷やし、十地の菩薩も魂を驚かす。等覚の菩薩は雲のように雨のように法を説き、数えきれない衆生を救って無生法忍に入らせても、なお「所知愚」と呼ばれ、道とはまったく背いている。ましてその他の者はなおさらである。

解説

『博山禅警語』のこの一節は、禅の求める一大事が、経典の学問をどれほど積んでも届かないものであることを説く。僧が、それなら仏は経典に説かなかったのかと問うと、正三は教外別伝の立場から答えた。経典はこの意を伝えるための道具であり、意を得れば文字を離れて自分の中にあると知る、というのである。菩薩の最高位に近い等覚でさえ道に背くという博山の言葉は、知識の多さと体得とは別物であることを強く示している。マニュアルや資格をいくら積んでも、それだけでは仕事の核心はつかめないことに通じる。

この章句が説くこと

教外別伝経典体得知識博山菩薩

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