驢鞍橋 / 卷中
工夫做得上如排千斤担子。放亦不下。如覓要緊的失物相似。若覓不着。誓不休心。其中但不可生執生着生計。執成病。着成魔。計成外。一僧問ふ、失物を覓る如くするは、大なる着也。魔と成るに非すや。師云はく、或は淨土を立て彌陀を作りて願ふ抔は、あてどある間、魔の取り付處も有るへし。疑團は虚空無躰也、魔なんぞ便りを淂んや。
新字:工夫做得上如排千斤担子。放亦不下。如覓要緊的失物相似。若覓不着。誓不休心。其中但不可生執生着生計。執成病。着成魔。計成外。一僧問ふ、失物を覓る如くするは、大なる着也。魔と成るに非すや。師云はく、或は浄土を立て弥陀を作りて願ふ抔は、あてどある間、魔の取り付処も有るへし。疑団は虚空無体也、魔なんぞ便りを淂んや。
書き下し
工夫做し得て上れば、千斤の担子を排するが如く、放てども亦た下らず。要緊の失物を覓むるが如くに相似たり。若し覓め着かずんば、誓って休心せず。其の中、但だ執を生じ、着を生じ、計を生ずべからず。執は病と成り、着は魔と成り、計は外と成る。一僧問ふ、失物を覓る如くするは、大なる着也。魔と成るに非すや。師云はく、或は浄土を立て弥陀を作りて願ふ抔は、あてどある間、魔の取り付処も有るへし。疑団は虚空無体也、魔なんぞ便りを得んや。
現代語訳
工夫が進んでくると、千斤の荷を担いでいるようで、下ろそうとしても下ろせない。大切な失くし物を探しているのと同じである。見つからなければ決して休まない。ただしその中で、執着を生じ、とらわれを生じ、はからいを生じてはならない。執着は病となり、とらわれは魔となり、はからいは外道となる。ある僧が問うた。「失くし物を探すようにするのは、大きなとらわれです。魔となるのではありませんか」。師は言われた。「たとえば浄土を立て、阿弥陀仏を思い描いて願うようなことは、目当てがあるから、魔の取りつくところもあるだろう。疑団は虚空のように形がない。魔がどうして手がかりを得られようか」。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『驢鞍橋』卷中工夫を做すに、頭を擡ぐれども天を見ず、頭を低るれども地を見ず。山を看れども是れ山ならず、水を見れども是れ水ならず。行けども行くを知らず、坐せども坐するを知らず。千人万人の中にも一人有るを見ず。師云はく、深思ひ入たる人如是。万事目には見ても、心に見す、疑団まてもなし、急度たるまぬ様に用ゆれは、早や此位は知る物也。通身内外只だ是れ一箇の疑団。謂っつべし、世界を攪渾して疑団破れずんば誓って休心せずと。此れを工夫の緊要と為す。師云はく、此の疑団心さへあれは、悪趣に堕しても種子をおとさす、世世に於て終に道を成する也。此の心一度起らすして、何を以て自性に契はんや。我は此の心を勇猛の機と名く。此機を得れは、何たる事に逢ふても、種を失はす、万事に自由也。若し修道の人此の心なくんば、生死到来の時かならす種を落すべしと也。
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『驢鞍橋』卷中工夫を做すに、疑情発り得て起れば、法身の理と相応す。湛として揺がざる処に坐到すれば、浄裸々、赤洒洒として、把るべき没し。便ち身を放ち去って、転位就機することを識り得ず、這裡に向って強いて主宰を立て、法身の辺に滞在す。通身是れ病なり。禅に非ず□□。師衆に向て云はく、禅の意作麼生。
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『驢鞍橋』卷中工夫を做すは、貴ぶらくは疑情を起すに在り。何をか疑情と謂う。生じて何れより来るかを知らざるが如きは、来処を疑わざることを得ず。死して何れに去るかを知らざれば、去処を疑わざることを得ず。生死の関、発して破れずんば、則ち疑情頓に発して、眉睫の上に結在す。放てども亦た下らず、趁えども亦た去らず、師云はく、放不下、趁不去、胸中にじつとさしはつて居る機一つを以て修する事なり。此の書は読む物にあらす、直に如是用ゐよと云ふ事也。此の二段にて済む、多く入るへからすと也。忽然として疑団を撲破せば、生死の二字は是れ甚麼の閑家具ぞ。噁。一僧問ふ、噁とは何ぞや。師云はく、□撲破した後は、云ふ事は有つてこそと也。
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『驢鞍橋』卷中工夫を做すに、疑情発り起らざれば、便ち有為の功行を做さんと欲す。或いは解脱を做し、或いは苦行を行ず。冬も炉せず、夏も扇せず。人来って衣を乞えば、便ち全身脱ぎ去って、甘心して凍死す、之を解脱と謂う。人来って食を乞えば、便ち自己食わずして、甘心して餓死す、之を解脱と謂う。更に種々有り、具さに説くべからず。総じて之を論ずれば、皆是れ勝心の使う所、無知を誑惑す。彼の無知の者は、是れ活仏なりと謂い、是れ菩薩なりと謂い、其の形命を尽くして承事供養す。殊に知らず、仏戒の中に之を悪律儀業と謂うことを。是れ持戒なりと雖も、歩歩に罪を結ぶ。師衆に問ふ、持戒の善業、何としてか罪結となるや。僧云ふ、有相執着の一念也。師云はく、然らは何と用ひたるか是ならんや。僧云はく、莫妄想。師之を肯う。
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『驢鞍橋』卷中外道は身心をして断滅して化して頑石と為らしむ。亦た静境より入る。良に歳久しく月深きを以て、之を枯らし又た枯らし、之を寂し又た寂して、無知無覚に堕す、木石と何ぞ異ならん。吾人或いは静境に処するも、祇だ衣線下一段の大事を発明せんと要す。静境に在ることを知らずして始めて得べし。大事の中に於て其の静相を求むるに、了に得べからず。斯れを得たりと為す。因に衆に語て云はく、我も始めより静境に依て入らしむる事をせす、日本橋の市中にて用ひ習へ、又閙の声の中に坐禅せよ抔と教ゆる也。
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『驢鞍橋』卷中問ふ、如何なるか是れ成仏、師答て曰く、此の身もうそ娑婆もうそ。問ふ、成仏しては何の益ありや。師答て曰く、成仏しては、苦をはなるゝ也。苦かいやなるに依つて是れを求る也。問ふ、如何なるか是れ仏法。師答て曰く、莫妄想。問ふ、如何なるか是れ不汚染の機。師云はく、我に離れ、一切にはらりと離れきつた機也。問ふ、万事の中に工夫を做す。此の意如何。答て曰く、心に心を付て、万事の上にて工夫す。問ふ、工夫の中に万事を做す。此の意如何。答て曰く、勇猛の機□して工夫の心なし。師因に云はく、工夫にて物を作すと、又ぬけて作すと覚え有りやと也。
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