驢鞍橋 / 卷中
外道使身心斷滅化爲頑石。亦從靜境而入。良以歲久月深。枯之又枯。寂之又寂。墮於無知無覺木石何異。吾人或處於靜境。祇要發明衣線下一段大事。不知在靜境始得。於大事中求其靜相。了不可淂。斯爲得也。因に衆に語て云はく、我も始めより依靜境入らしむる事をせす、日本橋の市中にて用ひ習へ、又閙の聲の中に坐禪せよ抔と敎ゆる也。
新字:外道使身心断滅化為頑石。亦従静境而入。良以歳久月深。枯之又枯。寂之又寂。堕於無知無覚木石何異。吾人或処於静境。祇要発明衣線下一段大事。不知在静境始得。於大事中求其静相。了不可淂。斯為得也。因に衆に語て云はく、我も始めより依静境入らしむる事をせす、日本橋の市中にて用ひ習へ、又閙の声の中に坐禅せよ抔と教ゆる也。
書き下し
外道は身心をして断滅して化して頑石と為らしむ。亦た静境より入る。良に歳久しく月深きを以て、之を枯らし又た枯らし、之を寂し又た寂して、無知無覚に堕す、木石と何ぞ異ならん。吾人或いは静境に処するも、祇だ衣線下一段の大事を発明せんと要す。静境に在ることを知らずして始めて得べし。大事の中に於て其の静相を求むるに、了に得べからず。斯れを得たりと為す。因に衆に語て云はく、我も始めより静境に依て入らしむる事をせす、日本橋の市中にて用ひ習へ、又閙の声の中に坐禅せよ抔と教ゆる也。
現代語訳
外道は身心を断ち滅ぼして頑固な石に変えてしまう。これもまた静かな境地から入るのである。まことに歳月を重ねて、枯らしに枯らし、静めに静めて、知も覚もないところに堕ちてしまう。木や石と何の違いがあろうか。我々は、たとえ静かな境地にいても、ただ衣の下にあるこの一大事を明らめようとするのである。静かな境地にいることすら忘れて、はじめて得られる。大事の中にその静けさの姿を求めても、まったく得られない。これを得たというのである。ついでに師は皆に語って言われた。「私も始めから、静かな境地によって入らせるようなことはしない。日本橋の町なかで用い習え、また騒がしい声の中で坐禅せよ、などと教えるのである」。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
『驢鞍橋』卷上夜話に曰く、修行と云ふ物、中中上り難き物也。我今十二時中坐禅ならさる事なし。喩へは大勢に交り、上下へかえし、相撲を取り、躍をゝとり、何程はね狂ひたりとも、坐禅の機少しもたじろくへからす。また好く若き時より心つきて自己を守りしが、其時分よりはや念には勝つてばかされざる也。夫れより次第よく修しつめ何たる事にもたじろかぬほどに仕付けたれども、まだ夫れでも生死の為めには不成、中々大儀な物也。
-
『驢鞍橋』卷中工夫を做すに、疑情発り得て起れば、法身の理と相応す。湛として揺がざる処に坐到すれば、浄裸々、赤洒洒として、把るべき没し。便ち身を放ち去って、転位就機することを識り得ず、這裡に向って強いて主宰を立て、法身の辺に滞在す。通身是れ病なり。禅に非ず□□。師衆に向て云はく、禅の意作麼生。
-
『驢鞍橋』卷上一日去る侍に示して曰く、始めより忙敷中にて坐禅を仕習ふたるが好き也。殊に侍は鯨波の中に用ふる坐禅を仕習はで不叶、鉄鉋をばたばたと打立て、互に鑓先を揃へて、わつわつと云ふて乱れ逢ふ中にて、急度用ひて爰で使ふ事也。なにと静なる処を好む坐禅が、加様の処にて使はれんや。総して侍はなにと好き仏法なりと云ふとも、ときの声の内にて用に立たぬ事ならは、捨たがよき也。然る間常住二王心を守習ふ外なし。扨初心の者二王心の外にて、万事の上に使ふ事成るへからず。
-
『驢鞍橋』卷上一日示して曰く、平生禅定にて居るほど、坐禅を仕習ふへし。浄土宗には念仏を以て信心を申し起し、禅宗には坐禅を以て無相無念の本心を修し出だす也。然る間强く眼をつけて、自ら勇猛精進の心湧出づるほど修すべし。左無くんば彼煩悩に負けて、坐禅常住なるへからずと也。
-
『驢鞍橋』卷上一日去る和尚来り云ふ、某久しく坐禅仕れども、妄想少しも不止、何れもは如何候や。師聞て曰く、夫れは止修行そうに存する也。縦ひ止んでも用に立つ事に非ず、心の修する位を御存しなそうなと也。
-
『驢鞍橋』卷下夜の次曰く、我常に謡を坐禅の機に用ゐよと云ふこと、何れも実にもと思はるゝや。一僧曰く、用ゐることを得ず、分別には好く肯ふと云ふ。師曰く、何には因らぬ、なるほど機を强く、ぬんと用ゐて、娑婆の念を去り習ふ外なし。何としても心娑婆に負けて居るもの也。能く用心すべしと也。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る