驢鞍橋 / 卷中
做工夫。貴在起疑情。何謂疑情。如生不知何來。不得不疑來處。死不知何去。不得不疑去處。生死關發不破。則疑情頓發。結在眉睫上。放亦不下。趁亦不去、師云はく、放不下、趁不去、胸中にじつとさしはつて居る機一つを以て修する事なり。此の書は讀む物にあらす、直に如是用ゐよと云ふ事也。此の二段にて濟む、多く入るへからすと也。忽然撲破疑團、生死二字是甚麼閑家具。噁。一僧問ふ、噁とは何ぞや。師云はく、□撲破した後は、云ふ事は有つてこそと也。
新字:做工夫。貴在起疑情。何謂疑情。如生不知何来。不得不疑来処。死不知何去。不得不疑去処。生死関発不破。則疑情頓発。結在眉睫上。放亦不下。趁亦不去、師云はく、放不下、趁不去、胸中にじつとさしはつて居る機一つを以て修する事なり。此の書は読む物にあらす、直に如是用ゐよと云ふ事也。此の二段にて済む、多く入るへからすと也。忽然撲破疑団、生死二字是甚麼閑家具。噁。一僧問ふ、噁とは何ぞや。師云はく、□撲破した後は、云ふ事は有つてこそと也。
書き下し
工夫を做すは、貴ぶらくは疑情を起すに在り。何をか疑情と謂う。生じて何れより来るかを知らざるが如きは、来処を疑わざることを得ず。死して何れに去るかを知らざれば、去処を疑わざることを得ず。生死の関、発して破れずんば、則ち疑情頓に発して、眉睫の上に結在す。放てども亦た下らず、趁えども亦た去らず、師云はく、放不下、趁不去、胸中にじつとさしはつて居る機一つを以て修する事なり。此の書は読む物にあらす、直に如是用ゐよと云ふ事也。此の二段にて済む、多く入るへからすと也。忽然として疑団を撲破せば、生死の二字は是れ甚麼の閑家具ぞ。噁。一僧問ふ、噁とは何ぞや。師云はく、□撲破した後は、云ふ事は有つてこそと也。
現代語訳
工夫をするには、疑いの心を起こすことが大切である。疑いの心とは何か。生まれてきたのにどこから来たのか分からなければ、来たところを疑わずにはいられない。死んでどこへ行くのか分からなければ、行く先を疑わずにはいられない。生死の関門が破れないでいると、疑いの心がにわかに起こって、眉と睫毛の上に固まって居座る。放そうとしても放せず、追い払おうとしても去らない。師は言われた。「放そうにも放せず、追い払っても去らない、胸の中にじっと張りつめているその働き一つで修行するのである。この書は読むものではない。そのまますぐにこのように用いよということである。この二段で済む。多くは要らない」。たちまち疑いの塊を打ち破れば、生死の二字など何のがらくたであろうか。噁(お)。ある僧が問うた。「噁とは何ですか」。師は言われた。「(一字判読できない)打ち破った後になってこそ、言うこともあるのだ」。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『驢鞍橋』卷中工夫を做すに、疑情発り得て起れば、法身の理と相応す。湛として揺がざる処に坐到すれば、浄裸々、赤洒洒として、把るべき没し。便ち身を放ち去って、転位就機することを識り得ず、這裡に向って強いて主宰を立て、法身の辺に滞在す。通身是れ病なり。禅に非ず□□。師衆に向て云はく、禅の意作麼生。
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『驢鞍橋』卷中工夫を做すに、頭を擡ぐれども天を見ず、頭を低るれども地を見ず。山を看れども是れ山ならず、水を見れども是れ水ならず。行けども行くを知らず、坐せども坐するを知らず。千人万人の中にも一人有るを見ず。師云はく、深思ひ入たる人如是。万事目には見ても、心に見す、疑団まてもなし、急度たるまぬ様に用ゆれは、早や此位は知る物也。通身内外只だ是れ一箇の疑団。謂っつべし、世界を攪渾して疑団破れずんば誓って休心せずと。此れを工夫の緊要と為す。師云はく、此の疑団心さへあれは、悪趣に堕しても種子をおとさす、世世に於て終に道を成する也。此の心一度起らすして、何を以て自性に契はんや。我は此の心を勇猛の機と名く。此機を得れは、何たる事に逢ふても、種を失はす、万事に自由也。若し修道の人此の心なくんば、生死到来の時かならす種を落すべしと也。
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『驢鞍橋』卷中工夫を做すに、箇の死の字を把って額上に貼在し、血肉の身心を将て死し去るが如く一般にし、祇だ究明せんと要する底の這の一念子の現前する有るのみ。師云はく、始めより死ぬ事一つを云ふ也。各も定て不審に思はれんす、我も前証なき事かと思ひけるが、此の書は我法の証拠に渡れり、誠に此死においては、髄に徹して居る也、何としても死なれぬものぞと也。
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『驢鞍橋』卷中工夫做し得て上れば、千斤の担子を排するが如く、放てども亦た下らず。要緊の失物を覓むるが如くに相似たり。若し覓め着かずんば、誓って休心せず。其の中、但だ執を生じ、着を生じ、計を生ずべからず。執は病と成り、着は魔と成り、計は外と成る。一僧問ふ、失物を覓る如くするは、大なる着也。魔と成るに非すや。師云はく、或は浄土を立て弥陀を作りて願ふ抔は、あてどある間、魔の取り付処も有るへし。疑団は虚空無体也、魔なんぞ便りを得んや。
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『驢鞍橋』卷中博山禅警語に曰く、工夫を做すに、最初要ず箇の破生死の心を発すべし。堅硬に看破せよ、世界身心悉く是れ仮縁にして実の主宰無しと。若し本具底の大理を発明せずんば、則ち生死の心破れず。生死の心既に破れずんば、無常の殺鬼念念に停まらず、却って如何にか排遣せん。此の一念を将て箇の敲門の瓦子と作せ。烈火焔中に坐在して出でんことを求むるが如くに相似たり。乱りに一歩を行くことを得ず、一歩を停止することを得ず、別に一念を生ずることを得ず、別人の救いを望むことを得ず。恁麼の時に当たって、只だ須らく猛火を顧みず、身命を顧みず、人の救いを望まず、別念を生ぜず、暫くも止まることを肯わず、前に往いて直に奔るべし。奔り得て出づれば是れ好手なり。師云はく、誠に修行と云ふは、この破生死の心を起す一つ也。烈火焔中に坐在して出る事を求るが如くの心を以て切に用るはかり也。一僧問ふ、何れの一念か扣門瓦子なりや。師云はく、如何が排遣せんと通身より思ふが、自性に契ふ肝要扣門瓦子也。
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『驢鞍橋』卷中工夫を做すに、疑情発り起らざれば、便ち有為の功行を做さんと欲す。或いは解脱を做し、或いは苦行を行ず。冬も炉せず、夏も扇せず。人来って衣を乞えば、便ち全身脱ぎ去って、甘心して凍死す、之を解脱と謂う。人来って食を乞えば、便ち自己食わずして、甘心して餓死す、之を解脱と謂う。更に種々有り、具さに説くべからず。総じて之を論ずれば、皆是れ勝心の使う所、無知を誑惑す。彼の無知の者は、是れ活仏なりと謂い、是れ菩薩なりと謂い、其の形命を尽くして承事供養す。殊に知らず、仏戒の中に之を悪律儀業と謂うことを。是れ持戒なりと雖も、歩歩に罪を結ぶ。師衆に問ふ、持戒の善業、何としてか罪結となるや。僧云ふ、有相執着の一念也。師云はく、然らは何と用ひたるか是ならんや。僧云はく、莫妄想。師之を肯う。
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