驢鞍橋 / 卷中
做工夫。不怕死不得活。只怕活不得死。師云はく、死して後の成佛を求めすとも、只今活て居て自由に死ぬ事を仕習へと也。今時の人是れを知らす、死して後佛に成らんと計願ひて、今死を習ふ事せすと也。
新字:做工夫。不怕死不得活。只怕活不得死。師云はく、死して後の成仏を求めすとも、只今活て居て自由に死ぬ事を仕習へと也。今時の人是れを知らす、死して後仏に成らんと計願ひて、今死を習ふ事せすと也。
書き下し
工夫を做すに、死して活くるを得ざることを怕れず、只だ活きて死するを得ざることを怕る。師云はく、死して後の成仏を求めすとも、只今活て居て自由に死ぬ事を仕習へと也。今時の人是れを知らす、死して後仏に成らんと計願ひて、今死を習ふ事せすと也。
現代語訳
工夫をするうえで、死んで生き返れないことを恐れるのではなく、ただ生きていながら死にきれないことを恐れよ。師は言われた。「死んだ後の成仏を求めなくてもよい。ただ今生きているうちに、自由に死ぬことを習い覚えよ。今の人はこれを知らず、死んだ後に仏になろうとばかり願って、今死を習うことをしない」。
解説
禅でいう「大死一番」、すなわち生きながら自我に死にきることを説く『博山禅警語』の一句である。正三はこれを、自らの持論である「死に習う」教えにそのまま結びつけた。死後の成仏を願うより、いま生きているうちに自由に死ねる心を身につけよ、というのである。来世の救いを願うばかりで今の修行を怠る当時の風潮への批判でもある。いつか報われることを期待するより、今この場で執着を手放す稽古をすることが大切だと教えている。
この章句が説くこと
死死に習う成仏執着工夫今
関連する章句
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『驢鞍橋』卷中工夫を做すに、箇の死の字を把って額上に貼在し、血肉の身心を将て死し去るが如く一般にし、祇だ究明せんと要する底の這の一念子の現前する有るのみ。師云はく、始めより死ぬ事一つを云ふ也。各も定て不審に思はれんす、我も前証なき事かと思ひけるが、此の書は我法の証拠に渡れり、誠に此死においては、髄に徹して居る也、何としても死なれぬものぞと也。
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『驢鞍橋』卷上一日去る遁世者来て、修行の用心を問ふ。師示して曰く、万事を打置て唯死に習はるべし。常に死に習つて、死の隙を明け、誠に死する時、驚かぬやうにすべし。□て死に習はるべし。彼者云、盲安杖を常に披見仕る、是等を見る事も悪しや。師曰、見て覚ゆる事は皆怨也。只念仏を以て死を軽くすべし。
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『驢鞍橋』卷上夜話の次て、去る者我元より死をなにとも思はぬと云ふ。師聞て曰く、其はよき事にこそあらんずが、修行は上がるべからす。我は死ぬかいやなに因つて、生き通しにして死なぬ身と成りたさに修行はする也。死なぬ身とならぬ中は、世々生々をかけて修せんと思ふ機慥に持つ也。亦其方死をなにとも思はぬと云ふても、道人には非す、さありとも自己の主人六根自由する物を知るへからすと也。
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『驢鞍橋』卷下一日、示して曰く、常に禅定に住し習ふべしと言ふは、常住機を抜さぬこと也。明日死すと窮らば、無理にも機は抜されまし、死を忘るゝ故に、機は抜ける也。歯を喰合せ眼をすゑ、只今死すと守るべし。何としても只は抜けかちの物也。責めて憂成るほどなくては叶はす。勇猛の機も、是れより出つる也。扨て又只今死するは、眼前のこと也。油断せらるゝことに非ずと也。
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『驢鞍橋』卷下去る暁、左右に向て曰く、扨て扨て実は强物哉。何れも正三かまだいきて居ると思ひ、世にある物じやと思つて、我病に貪著し、之に機を取られて居るさうなと也。又曰く、死をはつしと守るべし、我常に是れ一つを云ふ也。正三は何年生きても、死より別に云ふことなしと也。
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『驢鞍橋』卷中工夫を做すは、貴ぶらくは疑情を起すに在り。何をか疑情と謂う。生じて何れより来るかを知らざるが如きは、来処を疑わざることを得ず。死して何れに去るかを知らざれば、去処を疑わざることを得ず。生死の関、発して破れずんば、則ち疑情頓に発して、眉睫の上に結在す。放てども亦た下らず、趁えども亦た去らず、師云はく、放不下、趁不去、胸中にじつとさしはつて居る機一つを以て修する事なり。此の書は読む物にあらす、直に如是用ゐよと云ふ事也。此の二段にて済む、多く入るへからすと也。忽然として疑団を撲破せば、生死の二字は是れ甚麼の閑家具ぞ。噁。一僧問ふ、噁とは何ぞや。師云はく、□撲破した後は、云ふ事は有つてこそと也。
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