驢鞍橋 / 卷中
〇虛堂和尙擧此則曰。後之學者。己眼不明。見他承嗣洞山。便道當時見翠微臨濟之時未透。一犬吠虛。千猱啀實。雲門見睦州發明。却嗣雪峯。惟有雪竇見徹他骨髓。頌古裏面劈頭便道。龍牙山裡龍無眼。此語辛辣難近傍。盖他用處多類此云云。又曰。覺範却道。雪竇以死水瞎龍罪之。分明是活祖師意。却作死法會了。分明道。龍牙山裡龍無眼云云。虛堂錄卷四双林夏前告香普說にあり。
新字:〇虚堂和尚挙此則曰。後之学者。己眼不明。見他承嗣洞山。便道当時見翠微臨済之時未透。一犬吠虚。千猱啀実。雲門見睦州発明。却嗣雪峯。惟有雪竇見徹他骨髄。頌古裏面劈頭便道。竜牙山裡竜無眼。此語辛辣難近傍。盖他用処多類此云云。又曰。覚範却道。雪竇以死水瞎竜罪之。分明是活祖師意。却作死法会了。分明道。竜牙山裡竜無眼云云。虚堂録巻四双林夏前告香普説にあり。
書き下し
〇虚堂和尚此の則を挙して曰く、後の学者、己眼明らかならず。他の洞山に承嗣するを見て、便ち道う、当時翠微・臨済に見えし時未だ透らずと。一犬虚に吠ゆれば、千猱実に啀む。雲門は睦州に見えて発明し、却って雪峰に嗣ぐ。惟だ雪竇のみ有って他の骨髄を見徹す。頌古の裏面に劈頭便ち道う、竜牙山裡竜に眼無しと。此の語辛辣にして近傍し難し。蓋し他の用処多く此に類す云云。又曰く、覚範却って道う、雪竇死水瞎竜を以て之を罪すと。分明に是れ活祖師意なるを、却って死法の会を作し了る。分明に道う、竜牙山裡竜に眼無しと云云。虚堂録巻四双林夏前告香普説にあり。
現代語訳
虚堂和尚はこの則を取り上げて言った。「後の学ぶ者は自分の眼が明らかでない。龍牙が洞山の法を嗣いだのを見て、すぐに、翠微や臨済に会った時にはまだ悟り抜けていなかったのだ、と言う。一匹の犬が虚ろに吠えると、千匹の猿が本当のことのように歯をむく。雲門は睦州に会って悟ったが、法は雪峰に嗣いだではないか。ただ雪竇だけが龍牙の骨髄まで見抜いていた。頌古の中で冒頭いきなり『龍牙山裡龍に眼なし』と言ったのである。この語は辛辣で近寄りがたい。思うに雪竇の働きの多くはこの類である」云々。また言う。「覚範はかえって、雪竇が死水・瞎龍の語で龍牙を罪したのだと言う。はっきりと生きた祖師の意であるのに、かえって死んだ法として理解してしまった。はっきりと『龍牙山裡龍に眼なし』と言っているのに」云々。『虚堂録』巻四、双林の夏前告香普説にある。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
『驢鞍橋』卷上卯の夏夜話に曰く、我分別いつとなく失せ、慮知抔と云ふことなし。然る間云ひ損ひも有らんず事ぢやが、出次第に働きて、此年迄来れとも間に合はぬ事無し。総して若き時より無分別なる性也。然れども元より事の談合肝要の時に至ては、何たる分別者よりも我一言に究むる事多し。我もいな事に思ふ也。但しつゝきれて云ふ心か、夫れは元より中中强い位有り、事の談合に及んでは、聞くと早や胸すはつてつゝきれて云はるゝと也。
-
『酔古堂剣掃』集醒・事に任ずる者は利害の慮を忘る事を議する者は身事の外に在り、宜しく利害の情を悉すべし。事に任ずる者は身事の中に居り、當に利害の慮を忘るべし。
-
孫子・地形篇卒を視ること嬰児の如し、故に之と深谿に赴くべし。卒を視ること愛子の如し、故に之と俱に死すべし。厚くして使う能わず、愛して令する能わず、乱れて治むる能わざれば、譬えば驕子の若く、用うべからざるなり。
-
『正法眼蔵随聞記』巻一亦云く、大衆不対の時、我れ南泉ならば、大衆既に道不得と云て、便ち猫児を放下してまじ、古人の云く、大用現前して軌則を存せずと、
-
『囲炉夜話』第二百三則・必ず諸を心に問ふ言は盡くは信ず可からず、必ず諸を理に揆る。事は未だ遽かに行ふ可からず、必ず諸を心に問ふ。
-
『酔古堂剣掃』集醒・多情の者は與に妍媸を定むべからず多情の者は、與に妍媸を定むべからず。多誼の者は、與に取與を定むべからず。多氣の者は、與に雌雄を定むべからず。多興の者は、與に去住を定むべからず。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る