驢鞍橋 / 卷中
博山禪警語曰。做工夫。最初要發箇破生死心。堅硬看破破世界身心悉是假緣無實主宰。若不發明本具底大理。則生死心不破。生死心既不破。無常殺鬼念念不停。却如何排遣。將此一念作箇敲門瓦子。如坐在烈火燄中求出相似。亂行一步不得。停止一步不得。別生一念不得。望別人救不得。當恁麽時。只須不顧猛火。不顧身命。不望人救。不生別念。不肯暫止。往前直奔。奔得出是好手。師云はく、誠に修行と云ふは、この破生死の心を起す一つ也。烈火燄中に坐在して出る事を求るが如くの心を以て切に用るはかり也。一僧問ふ、何れの一念か扣門瓦子なりや。師云はく、如何が排遣せんと通身より思ふが、自性に契ふ肝要扣門瓦子也。
新字:博山禅警語曰。做工夫。最初要発箇破生死心。堅硬看破破世界身心悉是仮縁無実主宰。若不発明本具底大理。則生死心不破。生死心既不破。無常殺鬼念念不停。却如何排遣。将此一念作箇敲門瓦子。如坐在烈火焔中求出相似。乱行一歩不得。停止一歩不得。別生一念不得。望別人救不得。当恁麽時。只須不顧猛火。不顧身命。不望人救。不生別念。不肯暫止。往前直奔。奔得出是好手。師云はく、誠に修行と云ふは、この破生死の心を起す一つ也。烈火焔中に坐在して出る事を求るが如くの心を以て切に用るはかり也。一僧問ふ、何れの一念か扣門瓦子なりや。師云はく、如何が排遣せんと通身より思ふが、自性に契ふ肝要扣門瓦子也。
書き下し
博山禅警語に曰く、工夫を做すに、最初要ず箇の破生死の心を発すべし。堅硬に看破せよ、世界身心悉く是れ仮縁にして実の主宰無しと。若し本具底の大理を発明せずんば、則ち生死の心破れず。生死の心既に破れずんば、無常の殺鬼念念に停まらず、却って如何にか排遣せん。此の一念を将て箇の敲門の瓦子と作せ。烈火焔中に坐在して出でんことを求むるが如くに相似たり。乱りに一歩を行くことを得ず、一歩を停止することを得ず、別に一念を生ずることを得ず、別人の救いを望むことを得ず。恁麼の時に当たって、只だ須らく猛火を顧みず、身命を顧みず、人の救いを望まず、別念を生ぜず、暫くも止まることを肯わず、前に往いて直に奔るべし。奔り得て出づれば是れ好手なり。師云はく、誠に修行と云ふは、この破生死の心を起す一つ也。烈火焔中に坐在して出る事を求るが如くの心を以て切に用るはかり也。一僧問ふ、何れの一念か扣門瓦子なりや。師云はく、如何が排遣せんと通身より思ふが、自性に契ふ肝要扣門瓦子也。
現代語訳
『博山禅警語』にいう。工夫をするには、最初に、生死を打ち破ろうとする心を起こさねばならない。世界も身も心もすべて仮の縁の寄り集まりで、本当の主宰者などないと、固く見破れ。もし本来そなわっている大いなる道理を明らめなければ、生死の心は破れない。生死の心が破れなければ、無常という殺しの鬼が一念一念とどまることなく迫ってくる。それをどう払いのけるのか。この一念を、門を叩く瓦のかけらとせよ。燃えさかる炎の中に坐っていて、外へ出ようと求めるようなものである。むやみに一歩進むこともできず、一歩とどまることもできず、別の思いを起こすこともできず、他人の救いを望むこともできない。そういう時には、ただ猛火を顧みず、身命を顧みず、人の救いを望まず、別の思いを起こさず、少しも止まろうとせず、まっすぐ前へ走り抜けるしかない。走り抜けて出られた者が名手である。師は言われた。「まことに修行というのは、この生死を破る心を起こすこと一つである。炎の中に坐って出ようと求めるような心で、ひたすら用いるばかりである」。ある僧が問うた。「どの一念が門を叩く瓦なのですか」。師は言われた。「『これをどう払いのけようか』と全身で思う、その思いこそが、自性にかなう肝心の門を叩く瓦である」。
解説
この章句が説くこと
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『驢鞍橋』卷中工夫を做すに、箇の死の字を把って額上に貼在し、血肉の身心を将て死し去るが如く一般にし、祇だ究明せんと要する底の這の一念子の現前する有るのみ。師云はく、始めより死ぬ事一つを云ふ也。各も定て不審に思はれんす、我も前証なき事かと思ひけるが、此の書は我法の証拠に渡れり、誠に此死においては、髄に徹して居る也、何としても死なれぬものぞと也。
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『驢鞍橋』卷中工夫を做すは、貴ぶらくは疑情を起すに在り。何をか疑情と謂う。生じて何れより来るかを知らざるが如きは、来処を疑わざることを得ず。死して何れに去るかを知らざれば、去処を疑わざることを得ず。生死の関、発して破れずんば、則ち疑情頓に発して、眉睫の上に結在す。放てども亦た下らず、趁えども亦た去らず、師云はく、放不下、趁不去、胸中にじつとさしはつて居る機一つを以て修する事なり。此の書は読む物にあらす、直に如是用ゐよと云ふ事也。此の二段にて済む、多く入るへからすと也。忽然として疑団を撲破せば、生死の二字は是れ甚麼の閑家具ぞ。噁。一僧問ふ、噁とは何ぞや。師云はく、□撲破した後は、云ふ事は有つてこそと也。
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『驢鞍橋』卷中工夫を做すに、頭を擡ぐれども天を見ず、頭を低るれども地を見ず。山を看れども是れ山ならず、水を見れども是れ水ならず。行けども行くを知らず、坐せども坐するを知らず。千人万人の中にも一人有るを見ず。師云はく、深思ひ入たる人如是。万事目には見ても、心に見す、疑団まてもなし、急度たるまぬ様に用ゆれは、早や此位は知る物也。通身内外只だ是れ一箇の疑団。謂っつべし、世界を攪渾して疑団破れずんば誓って休心せずと。此れを工夫の緊要と為す。師云はく、此の疑団心さへあれは、悪趣に堕しても種子をおとさす、世世に於て終に道を成する也。此の心一度起らすして、何を以て自性に契はんや。我は此の心を勇猛の機と名く。此機を得れは、何たる事に逢ふても、種を失はす、万事に自由也。若し修道の人此の心なくんば、生死到来の時かならす種を落すべしと也。
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『驢鞍橋』卷上一日示して曰く、修行と云ふは勇猛の機一つ也。此心無くんば何たる行業も何たる善心も、皆徒事也。如来坐禅と二王坐禅と、あまり隔てあるべからず。面に現はしたると内に用ゐたるの替りなるべし。勇猛の機なくして、なにとして凡夫心にて死する時少しも使はれんや。亦なにを以て一切に勝つへきや。我は此機を頓て修し出したる間、人毎に頓て移らんずと思へとも、一人でも受けたる者なし。然れば是れ迄も修し付け難く、移し難き物と見えたり。時に去る者問、如何様にして此機を修し出すべきや。師示日、眼をすゑて死習ふ外なし。此糞袋をかたきにしてひた責めに責むべし。我が書く処の捨身の位、自己を守るの位をよく見て修せば、必す此機自然に起るへしと也。
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『驢鞍橋』卷中工夫を做すに、死して活くるを得ざることを怕れず、只だ活きて死するを得ざることを怕る。師云はく、死して後の成仏を求めすとも、只今活て居て自由に死ぬ事を仕習へと也。今時の人是れを知らす、死して後仏に成らんと計願ひて、今死を習ふ事せすと也。
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『驢鞍橋』卷中外道は身心をして断滅して化して頑石と為らしむ。亦た静境より入る。良に歳久しく月深きを以て、之を枯らし又た枯らし、之を寂し又た寂して、無知無覚に堕す、木石と何ぞ異ならん。吾人或いは静境に処するも、祇だ衣線下一段の大事を発明せんと要す。静境に在ることを知らずして始めて得べし。大事の中に於て其の静相を求むるに、了に得べからず。斯れを得たりと為す。因に衆に語て云はく、我も始めより静境に依て入らしむる事をせす、日本橋の市中にて用ひ習へ、又閙の声の中に坐禅せよ抔と教ゆる也。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
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