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驢鞍橋 / 卷中

○碧岩集評曰。他致箇問端。不妨要見他曲椽木床上老漢。亦要明自己一段大事。可謂言不虛設。機不亂發。出在做工夫處上不見五洩參石頭。先自約曰。若一言相契即住。不然即去云云。雪竇頌曰。龍牙山裏龍無眼。死水何曾振古風。禪板蒲團不能用。只應分付與盧公。評曰。雪竇據欵結案。他雖恁麼頌。且道意在什麼處。甚處是無眼。甚處是死水裏。到這裡須是有變通始得。所以道。澄潭不許蒼龍蟠。死水何曾有獰龍。不見道死水不藏龍。若是活底龍。須向洪波浩渺白浪滔天處去。此言龍牙走入死水中去被人打云云。

新字:○碧岩集評曰。他致箇問端。不妨要見他曲椽木床上老漢。亦要明自己一段大事。可謂言不虚設。機不乱発。出在做工夫処上不見五洩参石頭。先自約曰。若一言相契即住。不然即去云云。雪竇頌曰。竜牙山裏竜無眼。死水何曽振古風。禅板蒲団不能用。只応分付与盧公。評曰。雪竇拠欵結案。他雖恁麼頌。且道意在什麼処。甚処是無眼。甚処是死水裏。到這裡須是有変通始得。所以道。澄潭不許蒼竜蟠。死水何曽有獰竜。不見道死水不蔵竜。若是活底竜。須向洪波浩渺白浪滔天処去。此言竜牙走入死水中去被人打云云。

書き下し

○碧岩集の評に曰く、他の箇の問端を致す、妨げず他の曲椽木床上の老漢を見んと要するを。亦た自己一段の大事を明らめんと要す。謂っつべし、言虚しく設けず、機乱りに発せずと。工夫を做す処の上に出在す。見ずや、五洩石頭に参ず、先ず自ら約して曰く、若し一言相契わば即ち住せん、然らずんば即ち去らんと云云。雪竇頌して曰く、竜牙山裏竜に眼無し、死水何ぞ曾て古風を振るわん。禅板蒲団用うること能わず、只だ応に分付して盧公に与うべし。評に曰く、雪竇款に拠って案を結す。他恁麼に頌すと雖も、且く道え、意什麼の処にか在る。甚れの処か是れ無眼、甚れの処か是れ死水裏。這裡に到って須らく是れ変通有って始めて得べし。所以に道う、澄潭は蒼竜の蟠るを許さず、死水何ぞ曾て獰竜有らん。道うことを見ずや、死水に竜を蔵さずと。若し是れ活底の竜ならば、須らく洪波浩渺、白浪滔天の処に向って去るべし。此れは竜牙の死水中に走入し去って人に打たるるを言う云云。

現代語訳

○『碧巌録』の評唱にいう。龍牙が問いを発したのは、曲がった垂木の下、木の床の上に坐る老師たちを見定めようとしたからにほかならず、また自己の一大事を明らめようとしたのである。言葉はむやみに設けず、働きはみだりに発しない、と言うべきである。それは工夫を重ねるところから出ている。見よ、五洩が石頭に参じたとき、まず自ら「一言で契合すればとどまり、そうでなければ去る」と約束した、などとある。雪竇は頌していう。「龍牙山の龍には眼がない。死んだ水がどうして古風を振るえようか。禅板も蒲団も使えず、ただ盧公(六祖)に渡すほかない」。評唱にいう。「雪竇は罪状に基づいて判決を下したのである。雪竇はこのように頌したが、さて言ってみよ、その意はどこにあるか。どこが眼のないところか、どこが死んだ水の中か。ここに至っては融通の利く働きがあって初めてよい。だから言う、澄んだ淵は青い龍がとぐろを巻くのを許さない、死んだ水にどうして猛々しい龍がいようか、と。聞いたことがないか、死んだ水は龍を隠さない、と。もし生きた龍ならば、広々とした大波、天にみなぎる白波の中へと向かわねばならない。これは龍牙が死んだ水の中に走り込んで人に打たれたことを言っている」云々。

解説

正三と長老の論争の資料として、恵中が『碧巌録』第二十則の本文を書き写した部分である。円悟の評唱は、龍牙の問いを真剣な求道と認めつつ、雪竇の頌を龍牙に下した判決と読み、死んだ水の中の龍として批判する。正三が退けたのは、この「死水」「無眼」を欠点とみる読み方であった。同じ頌が、読み手によって称賛にも断罪にもなる例である。権威ある注釈書であっても一つの読みにすぎないと知ると、古典との付き合い方が自由になる。

この章句が説くこと

碧巌録円悟雪竇死水無眼活竜

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