驢鞍橋 / 卷中
臨濟錄曰。路逢達道人。第一莫向道云云。一僧問ふ、どこにも留るなと云ふ義也や。師云はく、夫ならは佛道にも隨はぬか是ならんや。左樣の修行地を以て言つた事にあらす。今日用處欠少什麼と云はれたる也。因に云ふ、普化の機移りてより後、加樣の處よく見ゆる也。佛の處は及ひなし。普化の境界ほどには、生生世世に於て至らんと思ふ心强しと也。
新字:臨済録曰。路逢達道人。第一莫向道云云。一僧問ふ、どこにも留るなと云ふ義也や。師云はく、夫ならは仏道にも随はぬか是ならんや。左様の修行地を以て言つた事にあらす。今日用処欠少什麼と云はれたる也。因に云ふ、普化の機移りてより後、加様の処よく見ゆる也。仏の処は及ひなし。普化の境界ほどには、生生世世に於て至らんと思ふ心強しと也。
書き下し
臨済録に曰く。路に達道の人に逢はば、第一に向つて道ふこと莫れ云云。一僧問ふ、どこにも留るなと云ふ義也や。師云はく、夫ならは仏道にも随はぬか是ならんや。左様の修行地を以て言つた事にあらす。今日用処什麼をか欠少すと云はれたる也。因に云ふ、普化の機移りてより後、加様の処よく見ゆる也。仏の処は及ひなし。普化の境界ほどには、生生世世に於て至らんと思ふ心強しと也。
現代語訳
『臨済録』に言う。「道に達した人に路で逢ったなら、まず道のことを語りかけてはならない」。ある僧が問うた。「どこにもとどまるな、ということでしょうか」。師は言われた。「それなら仏道にも従わないのが正しいことになるのか。そのような修行の段階のことを言ったのではない。『今日の働きに何が欠けているか』と言われたのである」。ついでに言われた。「普化の機が私に移ってから後、このようなところがよく見えるようになった。仏の境地には及びもつかない。しかし普化の境界ほどには、生まれ変わり死に変わりしても至ろうと思う心が強い」。
解説
この章句が説くこと
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