驢鞍橋 / 卷中
師問衆。正法無奇特。正法何んとしてか奇特なしや。時に俗士有り云ふ、本來無一物なるか故に。師云はく、達磨昔日芦に乘りたまふ奇特あり、是れ邪法なりや。士云ふ、正法の上に奇特なし、夫は人に付いた德也。師肯之。
新字:師問衆。正法無奇特。正法何んとしてか奇特なしや。時に俗士有り云ふ、本来無一物なるか故に。師云はく、達磨昔日芦に乗りたまふ奇特あり、是れ邪法なりや。士云ふ、正法の上に奇特なし、夫は人に付いた徳也。師肯之。
書き下し
師衆に問ふ。正法に奇特無し。正法何んとしてか奇特なしや。時に俗士有り云ふ、本来無一物なるか故に。師云はく、達磨昔日芦に乗りたまふ奇特あり、是れ邪法なりや。士云ふ、正法の上に奇特なし、夫は人に付いた徳也。師之を肯ふ。
現代語訳
師は僧たちに問われた。「『正法には奇特(不思議)はない』という。正法にはなぜ奇特がないのか」。その時一人の在家の者が言った。「本来無一物だからです」。師は言われた。「達磨は昔、葦の葉に乗って江を渡られたという奇特がある。これは邪法なのか」。その者は言った。「正法そのものに奇特はありません。それは人に備わった徳です」。師はこれを認められた。
解説
正しい教えには不思議な奇跡はないという言葉をめぐる問答である。在家の者は六祖慧能の「本来無一物」を持ち出したが、正三は達磨が葦の葉に乗って長江を渡ったという伝説を突きつけて揺さぶった。すると相手は、法そのものに奇特はなく、奇特に見えるものはそれを行じた人の徳だと答え直し、正三はこれを認めた。教えや方法に特別な力があるのではなく、それを身につけた人の中に力が現れるという見方である。仕組みやノウハウに奇跡を求めるより、それを使う人の成熟を問うべきだという示唆として読める。
この章句が説くこと
正法奇特徳達磨本来無一物
関連する章句
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