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驢鞍橋 / 卷中

永平隨聞記に曰く、先儒多くは三び顧るに三たびなから善ならは云ひ行くと也。衲子も亦必ずしも然るべしと云云。師云はく、此の語志なき者のためにはよき異見也。修行用心の爲めとては殘されす。修行者は、心をもつて廻らず、無分別に用ひたが能き也。時に一僧云ふ、めつたな事を申すが禪法なりや。師云はく、先き云ふか如し、志なき者の事にあらず、我いふは修行者の心用ひ端の事也。

新字:永平随聞記に曰く、先儒多くは三び顧るに三たびなから善ならは云ひ行くと也。衲子も亦必ずしも然るべしと云云。師云はく、此の語志なき者のためにはよき異見也。修行用心の為めとては残されす。修行者は、心をもつて廻らず、無分別に用ひたが能き也。時に一僧云ふ、めつたな事を申すが禅法なりや。師云はく、先き云ふか如し、志なき者の事にあらず、我いふは修行者の心用ひ端の事也。

書き下し

永平随聞記に曰く、先儒多くは三び顧るに三たびなから善ならは云ひ行くと也。衲子も亦必ずしも然るべしと云云。師云はく、此の語志なき者のためにはよき異見也。修行用心の為めとては残されす。修行者は、心をもつて廻らず、無分別に用ひたが能き也。時に一僧云ふ、めつたな事を申すが禅法なりや。師云はく、先き云ふか如し、志なき者の事にあらず、我いふは修行者の心用ひ端の事也。

現代語訳

『正法眼蔵随聞記』に言う。「昔の儒者の多くは、三度考え直して、三度とも善ければ言い、行うという。修行僧もまた必ずそうすべきである」。師は言われた。「この言葉は、志のない者にとってはよい意見である。しかし修行の心がけとしては残すべきでない。修行者は、心であれこれ巡らさず、分別なしに用いるのがよい」。その時ある僧が言った。「むやみなことを申すのが禅の法なのですか」。師は言われた。「先に言ったように、志のない者のことではない。私が言うのは、修行者の心の用い方のことである」。

解説

『正法眼蔵随聞記』は道元の言葉を懐奘が書き留めた書で、ここでは儒者にならい三度考えてから言い行えという教えが引かれる。正三はこれを志のない人にはよい助言だと認めつつ、修行者の心得としては退けた。修行者は心をあれこれ巡らせず、分別を捨てて用いるのがよいというのである。僧が軽率な言動を勧めるのかと反問すると、正三は志のない者の話ではないと区別した。慎重さが必要な人もいれば、迷いを断ち切って踏み込むべき人もいる、という相手に応じた教えとして読める。

この章句が説くこと

分別志修行慎重道元

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