驢鞍橋 / 卷中
學道用心集曰。誠夫觀無常時。吾我心不生。名利念不起。恐怖時光太速。所以行道救頭燃。顧眄身命不牢。所以精進慕翹足。縱聞緊那迦陵讃歎之音聲。夕風拂耳。縱見王嬙西施美妙之容顏。朝露遮眼。師曰く、王嬙西施か美妙の容顏を見ても、朝露遮眼と云ふは、事の外弱い云ひ樣也。せめて三世の諸佛、歷代の祖師と云ふも朝露遮眼也と云ひたし。時に一僧云ふ、是れ人の機に隨て聲色の繫縛を離す方便の語か。師云はく、夫とても何んぞ王嬙西施か美妙の容顏と云ふも、糞土臭穢の暖かなると云はすや。向ふも云ひ度はなし。學道用心抔と云ふは、初めよりぶつ付て心の用ひ樣を書くはずと也。
新字:学道用心集曰。誠夫観無常時。吾我心不生。名利念不起。恐怖時光太速。所以行道救頭燃。顧眄身命不牢。所以精進慕翹足。縦聞緊那迦陵讃嘆之音声。夕風払耳。縦見王嬙西施美妙之容顔。朝露遮眼。師曰く、王嬙西施か美妙の容顔を見ても、朝露遮眼と云ふは、事の外弱い云ひ様也。せめて三世の諸仏、歴代の祖師と云ふも朝露遮眼也と云ひたし。時に一僧云ふ、是れ人の機に随て声色の繋縛を離す方便の語か。師云はく、夫とても何んぞ王嬙西施か美妙の容顔と云ふも、糞土臭穢の暖かなると云はすや。向ふも云ひ度はなし。学道用心抔と云ふは、初めよりぶつ付て心の用ひ様を書くはずと也。
書き下し
学道用心集に曰く。誠に夫れ無常を観ずる時、吾我の心生ぜず、名利の念起らず。時光の太だ速かなることを恐怖す、所以に道を行ずること頭燃を救ふ。身命の牢からざることを顧眄す、所以に精進すること翹足を慕ふ。縦ひ緊那迦陵讃歎の音声を聞くとも、夕風の耳を払ふ。縦ひ王嬙西施美妙の容顔を見るとも、朝露の眼を遮る。師曰く、王嬙西施か美妙の容顔を見ても、朝露遮眼と云ふは、事の外弱い云ひ様也。せめて三世の諸仏、歴代の祖師と云ふも朝露遮眼也と云ひたし。時に一僧云ふ、是れ人の機に随て声色の繋縛を離す方便の語か。師云はく、夫とても何んぞ王嬙西施か美妙の容顔と云ふも、糞土臭穢の暖かなると云はすや。向ふも云ひ度はなし。学道用心抔と云ふは、初めよりぶつ付て心の用ひ様を書くはずと也。
現代語訳
『学道用心集』に言う。「まことに無常を観じる時には、我執の心は生じず、名誉や利益を求める思いも起こらない。時の過ぎるのがあまりに速いことを恐れるから、頭に燃えつく火を払うように道を行ずる。身命がもろいことを顧みるから、(釈迦が片足で立ち続けたという)翹足を慕って精進する。たとえ緊那羅や迦陵頻伽が讃える妙なる声を聞いても、夕風が耳をかすめるだけのこと。たとえ王嬙や西施のような美しい容貌を見ても、朝露が目をさえぎるだけのことである」。師は言われた。「王嬙や西施の美しい容貌を見ても朝露が目をさえぎるだけだというのは、ことのほか弱い言い方である。せめて三世の諸仏、歴代の祖師といっても、朝露が目をさえぎるだけだと言いたい」。その時ある僧が言った。「これは人の機根に応じて、声や色への束縛を離れさせるための方便の言葉ではないでしょうか」。師は言われた。「それにしても、どうして王嬙や西施の美しい容貌も、糞土や臭い汚れが温まっているだけだと言わないのか。遠慮して言いたくないわけでもあるまい。学道用心などというからには、初めからずばりと心の用い方を書くはずである」。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『驢鞍橋』卷上去る暁衆に語て曰く毎暁時定つて道ならは三町計り行く間程、大事急に起つて中々切也。就中此二三年は、弥憂機にひしと責め詰めらるゝ也。時に一僧云、某の如きは守る処さへ取留めて、一処を守る機なし。師曰、工みて守る間にて知る事に非す、然れとも起る機を持たさる者は、巧みて授くるの外なし。扨亦守る処は念仏を申すも、幻化を観ずるも、無常を観ずるも一つ也。然れとも人人縁有る処有る物なるに仍て、さまざまに説有り、只縁有る処を守るべし。信心强き則んは、何れも替り無し。大略は皆娑婆に心を抜かして沈み居らんと也。
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『驢鞍橋』卷上一日去る遁世者来て、修行の用心を問ふ。師示して曰く、万事を打置て唯死に習はるべし。常に死に習つて、死の隙を明け、誠に死する時、驚かぬやうにすべし。□て死に習はるべし。彼者云、盲安杖を常に披見仕る、是等を見る事も悪しや。師曰、見て覚ゆる事は皆怨也。只念仏を以て死を軽くすべし。
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『驢鞍橋』卷上去る暁衆中に向て曰く、何と御坊主達、次第に真実に成るや、少しも起る心有りや。亦曰、其方達も泣長老と成り、大寺の住持と成るへからず。只一盃庵に心安く居たるが、修行の為めには增しなるへし。其れでも後には富貴に成る者なり。能く用心すへき也。亦一僧、師の胸をさするに向て曰、我胸不断指張りて居る也。殊に暁は一入切也。是れを少し其方達に遣りたしと也。
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『驢鞍橋』卷上一日近比の遁世者に示して曰く、如何様なる者も頭をすれば、早打上つて人に貴はれ、殊勝に成り、売僧に成り、徳有る御坊主の振をする也。今時の道心者皆此つれ計り也。其方も我法によらんと思はゞ、一向の土に成り、謙つて向上に眼を著けす、足元より修すべし。なまけた振をし、さも無き事を鼻に上げてありかんと思はゞ、出入無用也。
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『驢鞍橋』卷上一日心学を用ふる者来て法要を問ふ。師示して曰く、仏法と云ふは分別を以て身を修むる様の事に非ず。跡を思はず後を分別せす、只今の一念を空く過さず、清浄に用ゆる事也。故に古人も光陰を惜む事、第一に勧られたりと云ふは、心をはつしと守り、善悪の念ともに打払つて、我に離るゝ事也。
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『驢鞍橋』卷下一日人問ふ、四民に書を給ふ所の浮心を如何用ゐんや。師示して曰く、虎口塲に望む心也。又果眼に成り、じりじりと懸る時の心也。此の機なくして万事に使はるべからす。仏道修行と云ふは、始めより終り迄、只此の機一つを以て生死を離るゝこと也。生死さへ離れば成仏也。然る間、此の機一つを以て成仏すべき也。別に入ることなし。見解抔と云ふこともさして用に立たぬ物也。毒薬変して薬と成ると云ふが如く、薬変して毒と成り結句怨と成ること多かるべし。見解よりも何よりも、只勇猛の心を以て練付て行くかよき也。古歌に「悟とは悟らで悟る悟なり悟る悟は夢の悟ぞ」とあり。誠に悟る悟はあぶないことぞ。我も悟らぬ悟がすきなり。法然などの念仏往生も悟らぬ悟也。
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