立正安国論 / 『立正安国論』迷いから実の乗へ
悲哉皆出正法之門而深入邪法之獄愚矣各懸惡教之經而鎭纒謗教之網此朦霧之迷沉彼盛焔之底豈不愁哉豈不苦哉汝早改信仰之寸心速歸實乘之一善然則三界皆佛國也佛國其衰哉十方悉寶土也寶土何壞哉國無衰微土無破壞身是安全心是禪定此詞此言可信可崇矣
新字:悲哉皆出正法之門而深入邪法之獄愚矣各懸悪教之経而鎮纒謗教之網此朦霧之迷沈彼盛焔之底豈不愁哉豈不苦哉汝早改信仰之寸心速帰実乗之一善然則三界皆仏国也仏国其衰哉十方悉宝土也宝土何壊哉国無衰微土無破壊身是安全心是禅定此詞此言可信可崇矣
書き下し
悲しいかな、皆な正法の門を出でて深く邪法の獄に入る。愚かなるかな、各おの悪教の綱を懸けて鎮えに謗教の網に纏わる。此の朦霧の迷い、彼の盛焔の底に沈む。豈愁えざらんや、豈苦しまざらんや。汝早く信仰の寸心を改めて、速かに実乗の一善に帰せよ。然れば則ち三界は皆な仏国なり、仏国其れ衰えんや。十方は悉く宝土なり、宝土何ぞ壊れんや。国に衰微無く、土に破壊無くんば、身は是れ安全、心は是れ禅定ならん。此の詞、此の言、信ずべく崇むべし。
現代語訳
悲しいことです、人々はみな正法の門を出て、深く邪法の獄に入っています。愚かなことです、それぞれが悪い教えの綱を掛けて、常に誹謗の教えの網にからめとられています。この濃い霧のような迷いのなかで、あの燃えさかる炎の底に沈んでいくのです。どうして憂えずにいられるでしょうか、どうして苦しまずにいられるでしょうか。あなたは早く信仰の小さな心を改めて、すみやかに実乗(法華経)の唯一の善に帰りなさい。そうすれば三界はみな仏国であり、仏国が衰えることがあるでしょうか。十方はことごとく宝土であり、宝土がどうして壊れるでしょうか。国に衰えがなく、土地に破壊がなければ、身は安全であり、心は禅定(静かな安定)に入るでしょう。この言葉は信じ、尊ぶべきものです。
解説

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『大和俗訓』巻之三・心術上一ちかき頃の俗語に、用心は臆病にせよといふ事、まことに道理によくかなへり。是ほどの小事は、何のうれひかあらんと思ひて、けなげにして懼れざるは、過のはじめわざはひの本なり。莫大の過わざはひは、必しばしの間少なることをおそれずして、つつしまざるより起るゆゑ、小事をおそれつつしみて、けなげならざるが、わざはひなき道なり。武王の銘に、何の害かあらんと言ふ勿れ、其の禍将に至らんとすとのたまひしも此意なり。
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