福翁自伝 / 緒方の塾風・欺て河豚を喰わせる
夫れから又一度遣た後で怖いと思たのは人をだまして河豚を喰わせた事だ。私は大阪に居るとき颯々と河豚も喰えば河豚の肝も喰て居た。或る時、芸州仁方から来て居た書生、三刀元寛と云う男に、鯛の味噌漬を貰て来たが喰わぬかと云うと、「有難い、成程宜い味がすると、悦んで喰て仕舞て二時間ばかり経てから、「イヤ可愛そうに、今喰たのは鯛でも何でもない、中津屋敷で貰た河豚の味噌漬だ。食物の消化時間は大抵知てるだろう、今吐剤を飲でも無益だ。河豚の毒が嘔かれるなら嘔て見ろと云たら、三刀も医者の事だから能く分て居る。サア気を揉で私に武者振付くように腹を立てたが、私も後になって余り洒落に念が入過ぎたと思て心配した。随分間違の生じ易い話だから。
書き下し
夫れから又一度遣た後で怖いと思たのは人をだまして河豚を喰わせた事だ。私は大阪に居るとき颯々と河豚も喰えば河豚の肝も喰て居た。或る時、芸州仁方から来て居た書生、三刀元寛と云う男に、鯛の味噌漬を貰て来たが喰わぬかと云うと、「有難い、成程宜い味がすると、悦んで喰て仕舞て二時間ばかり経てから、「イヤ可愛そうに、今喰たのは鯛でも何でもない、中津屋敷で貰た河豚の味噌漬だ。食物の消化時間は大抵知てるだろう、今吐剤を飲でも無益だ。河豚の毒が嘔かれるなら嘔て見ろと云たら、三刀も医者の事だから能く分て居る。サア気を揉で私に武者振付くように腹を立てたが、私も後になって余り洒落に念が入過ぎたと思て心配した。随分間違の生じ易い話だから。
現代語訳
それからまた一度、やった後で怖いと思ったのは、人をだまして河豚を食わせたことです。私は大阪にいるとき、平気で河豚も食べれば河豚の肝も食べていました。あるとき、芸州仁方から来ていた書生で三刀元寛という男に、鯛の味噌漬をもらってきたが食わないかと言うと、「ありがたい、なるほどいい味がする」と、喜んで食べてしまい、二時間ばかり経ってから、「いや、かわいそうに、今食べたのは鯛でも何でもない、中津屋敷でもらった河豚の味噌漬だ。食べ物の消化時間は大抵知っているだろう。今吐剤を飲んでも無駄だ。河豚の毒が吐けるものなら吐いてみろ」と言ったところ、三刀も医者のことですからよく分っています。さあ気をもんで、私にむしゃぶりつかんばかりに腹を立てましたが、私も後になって、あまりに洒落が念入りすぎたと思って心配しました。ずいぶん間違いの生じやすい話ですから。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
『養生訓』巻第六・慎病一夏月古き井、深き穴の中に人を入るべからず。毒気多し。古井には、先鶏の毛を入れて、毛舞ひ下りがたきは、是毒あり、入るべからず。火をもやして入れて後入るべし。又醋を熱くわかして、多く井に入れて後人入るべし。○夏至に井をさらへ、水を改むべし。
-
『大和俗訓』巻之三・心術上一ちかき頃の俗語に、用心は臆病にせよといふ事、まことに道理によくかなへり。是ほどの小事は、何のうれひかあらんと思ひて、けなげにして懼れざるは、過のはじめわざはひの本なり。莫大の過わざはひは、必しばしの間少なることをおそれずして、つつしまざるより起るゆゑ、小事をおそれつつしみて、けなげならざるが、わざはひなき道なり。武王の銘に、何の害かあらんと言ふ勿れ、其の禍将に至らんとすとのたまひしも此意なり。
-
『養生訓』巻第八・鍼是内経の戒なり。是皆、瀉有りて補無きを謂ふなり、と正伝にいへり。又浴して後、即時に鍼すべからず、酒に酔へる人に鍼すべからず、食に飽きて即時に鍼さすべからず。鍼医も病人も、右内経の禁を知りて守るべし。鍼を用ひて利ある事も害する事も、薬と灸より速なり。よく其利害をえらぶべし。つよく刺して、痛み甚しきはあしし。又右にいへる禁戒を犯せば、気へり、気のぼり、気うすく、はやく病を去らんとして、かへつて病くははる。是よくせんとして悪しくなるなり。つつしむべし。一衰老の人は、薬治鍼灸導引按摩を行ふにも、にはかに癒さんとてあらくすべからず。あらくするは、是即効を求むるなり。たちまち禍となる事あり。若当時快しとても、後の害となる。
-
『新序』雜事第二青蛉は猶お其の小なる者なり。夫れ爵は俛して白粒を啄み、仰いで茂樹に棲み、其の翼を鼓し、其の身を奮い、自ら以爲えらく患い無く、民と爭う無しと。知らず、公子王孫、左に彈を把り、右に丸を攝り、操持を定め、參連を審らかにするを。故に晝は茂樹に遊び、夕には酸鹹に和す。爵は猶お其の小なる者なり。鴻鵠は江漢に嬉遊し、大沼に息留し、俛して鰋鯉を啄み、仰いで陵衡に奮い、其の六翮を修めて清風に陵り、麃搖高翔し、一擧千里、自ら以爲えらく患い無く、民と爭う無しと。知らず、弋する者其の弓弩を選び、其の防翳を修め、繒繳を其の頸に加え、百仞の上に投じ、纖繳を引き、微波を揚げ、清風を折きて殞つるを。故に朝には江河に遊びて、暮には鼎俎に調せらる。
-
『甲陽軍鑑』品第四十七もしかさねてたれ人なりとも科人を追てゆくに見うしなはぬやうに五間も十間も跡より行くべし、げに追付きたく思ふならば、科人とならぶ様に追ひつくべし、必めしうどのにぐるまゝ、うしろに将棋だをしのごとくに追べからず、あやうき事なり、
-
『淮南子』本經訓昔 容成氏の時、道路 雁行して列處し、嬰兒を巢の上に托し、餘糧を畮首に置き、虎豹も尾す可く、虺蛇も蹍む可くして、其の然る所以を知らざりき。堯の時に逮び至りて、十日並び出で、禾稼を焦がし、草木を殺して、民 食らう所無し。猰貐・鑿齒・九嬰・大風・封豨・修蛇 皆な民の害を為す。堯 乃ち羿をして鑿齒を疇華の野に誅せしめ、九嬰を凶水の上に殺し、大風を青丘の澤に繳し、上は十日を射て下は猰貐を殺し、修蛇を洞庭に斷ち、封豨を桑林に禽にす。萬民 皆な喜び、堯を置きて以て天子と為す。是に於いて天下の廣狹・險易・遠近、始めて道裡有り。舜の時、共工 洪水を振滔して、以て空桑に薄る。龍門 未だ開けず、呂梁 未だ發かず、江・淮 通流し、四海 溟涬として、民 皆な丘陵に上り、樹木に赴く。
人生を、一行の式にしてみた。
志×積×時×憤÷(1+執)+命。古典から導いた式『人生の方程式』と、二十四の悩みに古典が答える『人生の教科書』(PDF)、師導の全機能1か月がセットで700円です。
本の中身を見る