甲陽軍鑑 / 品第四十七
もしかさねてたれ人なりとも科人を追てゆくに見うしなはぬやうに五間も十間も跡より行くべし、げに追付きたく思ふならば、科人とならぶ樣に追ひつくべし、必めしうどのにぐるまゝ、うしろに將棊だをしのごとくに追べからず、あやうき事なり、
新字:もしかさねてたれ人なりとも科人を追てゆくに見うしなはぬやうに五間も十間も跡より行くべし、げに追付きたく思ふならば、科人とならぶ様に追ひつくべし、必めしうどのにぐるまゝ、うしろに将棋だをしのごとくに追べからず、あやうき事なり、
書き下し
もしかさねてたれ人なりとも科人を追てゆくに見うしなはぬやうに五間も十間も跡より行くべし、げに追付きたく思ふならば、科人とならぶ様に追ひつくべし、必めしうどのにぐるまゝ、うしろに将棋だをしのごとくに追べからず、あやうき事なり、
現代語訳
もし重ねて誰人なりとも、科人を追うてゆくに、見失わぬように五間も十間も跡より行くべし。げに追い付きたく思うならば、科人と並ぶように追い付くべし。必ず、召し人の逃げるまま、後ろに将棋倒しのごとくに追うべからず。危うき事である。
解説
追い方を三つに分けて定める。見失わない距離を置く、追い付くなら横に並ぶ、真後ろに続いてはならない。前の一件で起きた型を、そのまま手順の禁止に直している。前の一件で起きた型を、そのまま手順の禁止に直している。距離を置く、追い付くなら横に並ぶ、真後ろには続かない。三つとも、実際に人が死んだ場面から逆算して作られた決まりだということである。
この章句が説くこと
追う距離並ぶ禁止手順信玄
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