立正安国論 / 『立正安国論』鳩は鷹に化す
主人悅曰鳩化爲鷹雀變爲蛤悅哉汝交蘭室之友成麻畝之性誠顧其難專信此言風和浪靜不日豐年耳但人心者隨時而移物性者依境而改譬猶水中之月動波陣前之軍靡劔汝當座雖信後定永志若欲先安國土而祈現當者速廻情慮急加對治所以者何
新字:主人悦曰鳩化為鷹雀変為蛤悦哉汝交蘭室之友成麻畝之性誠顧其難専信此言風和浪静不日豊年耳但人心者随時而移物性者依境而改譬猶水中之月動波陣前之軍靡剣汝当座雖信後定永志若欲先安国土而祈現当者速廻情慮急加対治所以者何
書き下し
主人悦びて曰く、鳩化して鷹と為り、雀変じて蛤と為る。悦ばしきかな、汝蘭室の友に交わりて麻畝の性と成れり。誠に其の難を顧みて専ら此の言を信ぜよ。風和らぎ浪静かにして、日ならずして豊年ならん。但し人心は時に随って移り、物性は境に依りて改まる。譬えば猶お水中の月の波に動き、陣前の軍の剣に靡くがごとし。汝当座に信ずと雖も、後定めて永く志さざらん。若し先ず国土を安んじて現当を祈らんと欲せば、速かに情慮を廻らし、急ぎ対治を加えよ。所以は何ん。
現代語訳
主人は喜んで言います。鳩が鷹に変わり、雀が蛤に変わるといいます。うれしいことです、あなたは蘭の香る部屋の友と交わって、麻畑のまっすぐな性質になりました。まことにその困難をよく顧みて、ひたすらこの言葉を信じなさい。風はやわらぎ波は静まって、日をおかずに豊年となるでしょう。ただし、人の心は時とともに移り、物の性質は環境によって変わります。たとえば水に映る月が波に揺れ、陣の前の軍勢が剣の威力に靡くようなものです。あなたはいまこの場では信じても、後にきっと長く志を持ち続けられなくなるでしょう。もしまず国土を安らかにして、現世と来世の安穏を祈ろうと思うなら、すみやかに考えをめぐらし、急いで対治(謗法への手当て)を行いなさい。それはなぜかというと。
解説

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