説苑 / 說叢
梟逢鳩。鳩曰:「子將安之?」梟曰:「我將東徙。」鳩曰:「何故?」梟曰:「鄉人皆惡我鳴,以故東徙。」鳩曰:「子能更鳴可矣,不能更鳴,東徙猶惡子之聲。」
新字:梟逢鳩。鳩曰:「子将安之?」梟曰:「我将東徙。」鳩曰:「何故?」梟曰:「郷人皆悪我鳴,以故東徙。」鳩曰:「子能更鳴可矣,不能更鳴,東徙猶悪子之声。」
書き下し
梟、鳩に逢う。鳩曰く、「子將に安にか之かんとする。」梟曰く、「我將に東に徙らんとす。」鳩曰く、「何の故ぞ。」梟曰く、「鄉人皆我が鳴くを惡む、故を以て東に徙る。」鳩曰く、「子能く鳴くを更むれば可なり。鳴くを更むる能わずんば、東に徙るも猶お子の聲を惡まん。」
現代語訳
梟(ふくろう)が鳩に出会った。鳩が尋ねた。「あなたはどこへ行こうとしているのですか。」梟は答えた。「私は東へ引っ越そうとしているのです。」鳩は尋ねた。「なぜですか。」梟は答えた。「村人が皆、私の鳴き声を嫌うのです。だから東へ引っ越すのです。」鳩は言った。「あなたがその鳴き声を変えることができるなら、それでよいでしょう。しかし鳴き声を変えることができないなら、東へ引っ越しても、やはり人々はあなたの声を嫌うことでしょう。」
解説
梟と鳩の寓話という說叢篇中でも珍しい対話形式で、問題の根本原因に向き合わずに環境だけを変えても解決にはならないという教訓を説く章である。梟は嫌われる原因を自分の鳴き声にではなく周囲の土地に求め、引っ越しという表面的な解決策に頼ろうとする。鳩の指摘は的確で、原因が自分自身にある限り、場所を変えても同じ結果を繰り返すだけだと喝破する。転職や転居によって現状を打破しようとしながらも、自分自身の課題に向き合わない現代人にも刺さる普遍的な寓話である。

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自己変革根本原因寓話
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