立正安国論 / 『立正安国論』三種の殺と一闡提
又云殺有三謂下中上下者螻蟻子乃至一切畜生唯除菩薩示現生者以下殺因緣墮於地獄畜生餓鬼具受下苦何以故是諸畜生有微善根是故殺者具受罪報中殺者從凡夫人至阿那含是名爲中以是業因墮於地獄畜生餓鬼具受中苦上殺者父母乃至阿羅漢辟支佛畢定菩薩墮於阿鼻大地獄善男子若有能殺一闡提者則不墮此三種殺中善男子彼諸婆羅門等一切皆是一闡提也
新字:又云殺有三謂下中上下者螻蟻子乃至一切畜生唯除菩薩示現生者以下殺因縁堕於地獄畜生餓鬼具受下苦何以故是諸畜生有微善根是故殺者具受罪報中殺者従凡夫人至阿那含是名為中以是業因堕於地獄畜生餓鬼具受中苦上殺者父母乃至阿羅漢辟支仏畢定菩薩堕於阿鼻大地獄善男子若有能殺一闡提者則不堕此三種殺中善男子彼諸婆羅門等一切皆是一闡提也
書き下し
又云く、殺に三有り、謂く下中上なり。下とは螻蟻の子乃至一切の畜生、唯だ菩薩の示現して生ずるを除く。下の殺の因縁を以て地獄・畜生・餓鬼に堕ち、具さに下の苦を受く。何を以ての故に。是の諸の畜生に微善根有り、是の故に殺す者は具さに罪報を受く。中の殺とは、凡夫人より阿那含に至る、是れを名づけて中と為す。是の業因を以て地獄・畜生・餓鬼に堕ち、具さに中の苦を受く。上の殺とは、父母乃至阿羅漢・辟支仏・畢定の菩薩、阿鼻大地獄に堕つ。善男子、若し能く一闡提を殺す者有らば、則ち此の三種の殺の中に堕ちず。善男子、彼の諸の婆羅門等は一切皆な是れ一闡提なり、と。
現代語訳
また涅槃経にはこうあります。殺すことに三種あり、下・中・上という。下とは、螻蛄や蟻の子から、あらゆる畜生にいたるまで(ただし菩薩が姿を現して生まれたものは除く)。この下の殺の因縁によって地獄・畜生・餓鬼に堕ち、下の苦しみを残らず受ける。なぜかというと、これらの畜生にもわずかな善い根があり、そのため殺す者は罪の報いを残らず受けるからである。中の殺とは、凡夫から阿那含にいたるまでの人を殺すことをいう。この業因によって地獄・畜生・餓鬼に堕ち、中の苦しみを残らず受ける。上の殺とは、父母から阿羅漢・辟支仏・畢定の菩薩にいたるまでを殺すことで、阿鼻大地獄に堕ちる。善男子よ、もし一闡提を殺す者があれば、この三種の殺のどれにも堕ちない。善男子よ、あのバラモンたちはみな一闡提なのである、と。
解説

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