立正安国論 / 『立正安国論』客の憤りと名指しの要求
客猶憤曰明王因天地而成化聖人察理非而治世世上之僧侶者天下之所歸也於惡侶者明王不可信非聖人者賢哲不可仰今以賢聖之尊重則知龍象之不輕何吐妄言強成誹謗以誰人謂惡比丘哉委細欲聞矣
新字:客猶憤曰明王因天地而成化聖人察理非而治世世上之僧侶者天下之所帰也於悪侶者明王不可信非聖人者賢哲不可仰今以賢聖之尊重則知竜象之不軽何吐妄言強成誹謗以誰人謂悪比丘哉委細欲聞矣
書き下し
客猶お憤りて曰わく、明王は天地に因りて化を成し、聖人は理非を察して世を治む。世上の僧侶は天下の帰する所なり。悪侶に於ては明王信ずべからず、非聖人は賢哲仰ぐべからず。今賢聖の尊重を以て、則ち龍象の軽からざることを知る。何ぞ妄言を吐いて強いて誹謗を成す。誰人を以て悪比丘と謂うや。委細に聞かんと欲す。
現代語訳
客はなお怒って言いました。賢明な王は天地の道理にもとづいて教化を行い、聖人は道理に合うか否かを見分けて世を治めます。世の僧侶は天下の人々が帰依するところです。もし悪い僧であれば、賢明な王が信じるはずはなく、聖人でない者を、賢者が仰ぐはずもありません。今、賢人や聖人が僧を尊び重んじていることから、龍や象にたとえられる高僧が軽んじられるものでないと分かります。どうして出まかせを言って、無理にそしるのですか。いったい誰を悪い僧と言うのですか。詳しく聞きたいのです。
解説
主人の経文引用に、客は感情的に反発します。ただし論点は押さえており、王や賢者が信じて敬う僧を悪と呼ぶのは根拠のない中傷ではないか、誰を指すのか具体的に示せ、と迫ります。対話形式のこの書では、反論を先に言わせることで論点が絞られ、主人の次の答えが引き出されます。宗派間の論争が背景にある文書ですが、型として見れば、相手の言い分を最後まで言わせ、批判するなら名指しと根拠を求める、という筋の通った問い詰めです。会議でも、漠然とした批判は具体例を求められて初めて検討の俎上に載ります。

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本の中身を見るこの章句が説くこと
客憤り明王聖人竜象誹謗
関連する章句
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立正安国論・『立正安国論』客の納得と対策の問い客、則ち和して曰く、下経に謗僧一人を難ずる論あり。然れども大乗経六百三十七部二千八百八十三巻、并びに一切の諸仏・菩薩及び諸世天等を、「捨閉閣抛」の四字に載す。其の詞は論ずる勿きなり、其の文は顕然なり。此の瑕瑾を守りて其の誹謗を成す。迷いて言うか、覚りて語るか。賢愚弁ぜず、是非定め難し。但し災難の起こりは選択の由、盛んに其の詞を増し、弥々其の旨を談ず。所詮は天下泰平・国土安穏は、君臣の楽しむ所、土民の思う所なり。夫れ国は法に依りて昌え、法は人に因りて貴し。国亡び人滅せば、仏を誰か崇むべき、法を誰か信ずべけんや。先ず国家を祈りて須く仏法を立つべし。若し災いを消し難を止むる術有らば、聞かんと欲す。
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立正安国論・『立正安国論』主人の応答 災難の由来主人曰く、独り此の事を愁えて、憤悱胸臆に在り。客来たりて共に嘆く、屢しば談話を致さん。夫れ出家して道に入る者は、法に依って仏を期するなり。而るに今、神術協わず、仏威験無し。具さに当世の体を覩て、愚かに後生の疑いを発す。然れば則ち円覆を仰いで恨みを呑み、方載に俯して深く愁う。倩ら微管を傾け、聊か経文を披くに、世皆正に背き、人悉く悪に帰す。故に善神国を捨てて相い去り、聖人所を辞して還らず。是を以て魔来たり、鬼来たり、災起こり、難起こる。言わずんばあるべからず、恐れずんばあるべからず。客曰く、天下の災い、国中の難、余独り嘆くに非ず、衆皆悲しむ。今、蘭室に入りて初めて芳詞を承る。神聖去り辞して、災難並び起こると、何の経に出でたるや。其の証を聞かん。
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立正安国論・『立正安国論』客の疑い、斬罪か客曰く、若し謗法の輩を断じ、若し仏禁の違者を絶さば、彼の経文の如く斬罪に行うべきか。若し然らば殺害相加わりて罪業何為んや。則ち大集経に云く、頭を剃り袈裟を著け、戒を持ち及び戒を毀るも、天人供養すべし、彼は則ち我を供養すと為す、是れ我が子なり、若し彼を搥ち打たば則ち我が子を打つと為す、若し罵辱せば彼れ則ち我を毀辱すと為す、と。料り知んぬ、善悪を論ぜず是非を択ぶこと無く、僧侶たらば供養を展ぶべし、何ぞ其の子を打辱して其の父を悲哀せしめんや、忝くも。彼の竹杖の害は目連尊者なり、永く無間の底に沈む。提婆達多の蓮華比丘尼を殺すや、久しく阿鼻の焔に咽ぶ。先証斯れ明らかなり、後昆最も恐るべし。誠に謗法は既に禁言を破ると似たり、此の事信じ難し、如何が意得べき。主人云く、客は明らかに経文を見て猶お斯の言を成す、心の及ばざるか、理の通ぜざるか。全く仏子を禁ずるに非ず、唯だ偏えに謗法を悪むなり。夫れ釈迦の以前の仏教は其の罪を斬ると雖も、能仁の以後の経説は則ち其の施を止む。然れば則ち四海万邦一切の四衆、其の悪を施さず、皆な此の善に帰せば、何の難か並び起こらん、何の災か競い来たらん。客則ち席を避け襟を刷いて曰く、仏教斯の区、旨趣窮め難く、審らかならざること多端なり、理非明らかならざるにあらず。但し法然聖人の選択、現在せり。諸仏諸経諸菩薩諸天等を以て捨閉閣抛の字を載す、其の文顕然なり。茲に因りて聖人国を去り、善神所を捨て、天下飢渇し、世上疫病す。今主人広く経文を引きて明らかに理非を示す、故に妄執既に翻り、耳目数ば朗らかなり。所詮国土泰平、天下安穏は、一人より万民に至るまで好む所なり、楽う所なり。早く一闡提の施を止め、永く衆僧尼の供を致し、仏海の白浪を収め、法山の緑林を截り、世は羲農の世と成り、国は唐虞の国と為らん。然して後に法水の浅深を斟酌し、仏家の棟梁を崇重せん。
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立正安国論・『立正安国論』客の憤りと反論客、殊に色を作して曰く、我が本師釈迦文、浄土三部経を説きしより以来、曇鸞法師は四論を捨てて講説し、一向に浄土の道に帰し、道綽禅師は涅槃の広業を閣きて、偏に西方の行業を弘め、善導和尚は雑行を抛ちて事修を立て、慧心僧都は諸経の要文を集めて念仏の一行を宗とし、弥陀を貴重すること誠に以て然なり。又往生の人、其れ幾ばくぞや。就中、法然聖人は幼少にして天台山に昇り、十七にして六十巻に渉り、並びに八宗を究め、具に大意を得たり。其の外一切の経論、七遍反覆し、章疏伝記、究め看ざるは莫し。智は日月に斉しく、徳は先師に越えたり。然りと雖も猶出離の趣に迷い、涅槃の旨を弁えず。故に徧く観、悉く鑑み、深く思い遠く慮り、遂に諸経を抛ちて専ら念仏を修す。其の上一夢の霊応を蒙り、四斎の親疎を弘む。故に或は勢至の化身と号し、或は善導の再誕と仰ぐ。然れば則ち十方の貴賤は頭を低れ、一朝の男女は歩みを運ぶ。爾来、春秋推移し、星霜相積む。而るに釈尊の教に乖疎し、恣に弥陀の文を譏る。何ぞ近年の災を以て聖代の時に課し、強いて先師を毀り、更に聖人を罵るや。毛を吹いて疵を求め、皮を剪りて血を出す。昔より今に至るまで、此の如き悪言は未だ聞かず。惶るべし、慎むべし。罪業至って重し、科条争でか道わん。対座すら猶以て恐れ有り。杖を携えて則ち帰らんと欲す。
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立正安国論・『立正安国論』客、誓って従う客曰く、今生後生誰か慎まざらん、誰か恐れざらん。此の経文を披きて具さに仏語を承るに、誹謗の科至って重く、毀法の罪誠に深し。我一仏を信じて諸仏を拋ち、三部経を仰いで諸経を閣きしは、是れ私曲の思いに非ず、則ち先達の詞に随いしなり。十方の諸人も亦復た是くの如し。今世には性心を労し、来生には阿鼻に堕ちん。文明らかに理詳らかなり、疑うべからず。弥いよ貴公の慈誨を仰ぎ、益ます愚客の癡心を開く。速かに対治を廻らし、早く泰平を致し、先ず生前を安んじ、更に没後を扶けん。唯だ我が信ずるのみに非ず、又た誠めて他の誤りを誡めんのみ。
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立正安国論・『立正安国論』客の問いと主人の覚悟客、聊か和らぎて曰く、未だ淵底を究めざれども、数ば其の趣を知る。但し花洛より柳営に至るまで、釈門は枢楗に在り、仏家は棟梁に在り。然れども未だ勘状を進らせず、上奏に及ばず。汝賤身を以て輒く莠言を吐く。其の義余り有り、其の理謂れ無し。主人の曰く、予、少量たりと雖も、忝くも大乗を学ぶ。蒼蠅、驥尾に附して万里を渡り、碧蘿、松頭に懸かりて千尋を延ぶ。弟子、一仏の子と生まれ、諸経の王に事う。何ぞ仏法の衰微を見て、心情の哀惜を起こさざらん。其の上、涅槃経に云く、若し善比丘、法を壊る者を見て、置いて呵責し駈遣し挙処せずんば、当に知るべし、是の人は仏法の中の怨なり。若し能く駈遣し呵責し挙処せば、是れ我が弟子、真の声聞なりと。余、善比丘の身たらずと雖も、仏法中の怨の責を遁れんが為に、唯大綱を撮りて粗一端を示す。其の上、去る元仁年中に、延暦・興福の両寺より度々経奏聞し、勅宣・御教書を申し下し、法然の選択の印板を大講堂に取り上げ、三世の仏恩を報ぜんが為に之を焼失せしむ。法然の墓所に於ては、感神院の犬神人に仰せ付けて破却せしむ。其の門弟隆観・聖光・成覚・薩生等は遠国に配流せらる。其の後、未だ御勘気を許されず。豈に未だ勘状を進らせずと云わんや。