立正安国論 / 『立正安国論』法然の選択集を挙げる
主人曰後鳥羽院御学有法然作選擇集矣則破一代之聖教偏迷十方之衆生其選擇云道綽禪師立聖道淨土二門而捨聖道正歸淨土之文初聖道門者就之有二乃至准之思之應存密大及以實大然則今眞言佛心天台華嚴三論法相地論攝論此等八家之意正在此也
新字:主人曰後鳥羽院御学有法然作選択集矣則破一代之聖教偏迷十方之衆生其選択云道綽禅師立聖道浄土二門而捨聖道正帰浄土之文初聖道門者就之有二乃至准之思之応存密大及以実大然則今真言仏心天台華厳三論法相地論摂論此等八家之意正在此也
書き下し
主人曰わく、後鳥羽院の御宇に法然有り、選択集を作る。則ち一代の聖教を破し、偏に十方の衆生を迷わす。其の選択に云わく、道綽禅師、聖道・浄土の二門を立てて、聖道を捨てて正しく浄土に帰するの文。初めに聖道門とは、之に就いて二有り。乃至 之に准じて之を思うに、応に密大及以び実大を存すべし。然れば則ち今真言・仏心・天台・華厳・三論・法相・地論・摂論、此等の八家の意、正しく此に在るなり。
現代語訳
主人は言いました。後鳥羽院の御代に法然という人がいて、『選択集』を作りました。それは釈迦一代の聖なる教えを打ち破り、ひたすら全ての方角の人々を迷わせるものです。その『選択集』にはこうあります。道綽禅師が聖道門と浄土門の二つの門を立て、聖道門を捨てて正しく浄土門に帰せよと説いた文。初めに、聖道門というものには、二つの種類がある。(中略)これに準じて考えると、密教の大乗と、実教の大乗とが存する。そうであれば、今の真言・仏心(禅)・天台・華厳・三論・法相・地論・摂論という八つの宗派の考えは、まさにこの聖道門にあたる。
解説
客の問いに、主人はここで初めて具体名を挙げます。法然の『選択集』が、道綽の説を引いて聖道門を捨てて浄土門に帰せよと説き、真言・禅・天台など八つの宗派を聖道門に含めた、という点が最初の論点です。日蓮はこれを一代の教えを破るものとして批判しました。浄土の側から見れば別の読み方もあり、これは宗派間の論争の文書として読む必要があります。論点の運びとしては、批判の対象を曖昧にせず、書名と該当箇所を示して相手の主張を正確に引く、という姿勢が際立ちます。反論する前に相手の言い分を正確に引くことは、仕事でも議論の出発点です。

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本の中身を見るこの章句が説くこと
選択集法然道綽聖道門浄土門八家
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