立正安国論 / 『立正安国論』客の反論 仏教の歴史
客作色曰後漢明帝者悟金人之夢得白馬之教上宮太子者誅守屋之逆成寺塔之構爾來上自一人下至萬民崇佛像專經卷然則叡山南都園城東寺四海一州五畿七道佛經星羅堂宇雲布鷲子之族則觀鷲頭之月鶴勒之流亦傳雞足之風誰謂偏一代之教廢三寶之跡哉若有其證委聞其故矣
新字:客作色曰後漢明帝者悟金人之夢得白馬之教上宮太子者誅守屋之逆成寺塔之構爾来上自一人下至万民崇仏像専経巻然則叡山南都園城東寺四海一州五畿七道仏経星羅堂宇雲布鷲子之族則観鷲頭之月鶴勒之流亦伝鶏足之風誰謂偏一代之教廃三宝之跡哉若有其証委聞其故矣
書き下し
客色を作して曰く、後漢の明帝は、金人の夢を悟って白馬の教えを得、上宮太子は、守屋の逆を誅して寺塔の構えを成す。爾来、上一人より下万民に至るまで、仏像を崇め経巻を専らにす。然れば則ち叡山、南都、園城、東寺、四海一州、五畿七道、仏経星のごとく羅なり、堂宇雲のごとく布く。鷲子の族は則ち鷲頭の月を観、鶴勒の流れは亦た鶏足の風を伝う。誰か一代の教えに偏して、三宝の跡を廃すと謂わんや。若し其の証有らば、委しく其の故を聞かん。
現代語訳
客は顔色を変えて言いました。後漢の明帝は金人の夢を見て悟り、白馬に載せた仏教を得ました。上宮太子は物部守屋の反逆を誅して、寺や塔を建てました。それ以来、上は天皇から下は万民に至るまで、仏像をあがめ、経典に励んでいます。そうして比叡山、南都、園城寺、東寺をはじめ、国中どこでも、仏経は星のように連なり、堂や伽藍は雲のように広がっています。舎利弗の流れを継ぐ者は霊鷲山の月を観じ、鶴勒夜那の流れの者は鶏足山の風を伝えています。誰が、釈尊一代の教えの一部だけに偏って、三宝の跡を廃したなどと言えるでしょうか。もしそのような証拠があるのなら、詳しくその理由を聞かせてください。
解説

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立正安国論・『立正安国論』客の憤りと反論客、殊に色を作して曰く、我が本師釈迦文、浄土三部経を説きしより以来、曇鸞法師は四論を捨てて講説し、一向に浄土の道に帰し、道綽禅師は涅槃の広業を閣きて、偏に西方の行業を弘め、善導和尚は雑行を抛ちて事修を立て、慧心僧都は諸経の要文を集めて念仏の一行を宗とし、弥陀を貴重すること誠に以て然なり。又往生の人、其れ幾ばくぞや。就中、法然聖人は幼少にして天台山に昇り、十七にして六十巻に渉り、並びに八宗を究め、具に大意を得たり。其の外一切の経論、七遍反覆し、章疏伝記、究め看ざるは莫し。智は日月に斉しく、徳は先師に越えたり。然りと雖も猶出離の趣に迷い、涅槃の旨を弁えず。故に徧く観、悉く鑑み、深く思い遠く慮り、遂に諸経を抛ちて専ら念仏を修す。其の上一夢の霊応を蒙り、四斎の親疎を弘む。故に或は勢至の化身と号し、或は善導の再誕と仰ぐ。然れば則ち十方の貴賤は頭を低れ、一朝の男女は歩みを運ぶ。爾来、春秋推移し、星霜相積む。而るに釈尊の教に乖疎し、恣に弥陀の文を譏る。何ぞ近年の災を以て聖代の時に課し、強いて先師を毀り、更に聖人を罵るや。毛を吹いて疵を求め、皮を剪りて血を出す。昔より今に至るまで、此の如き悪言は未だ聞かず。惶るべし、慎むべし。罪業至って重し、科条争でか道わん。対座すら猶以て恐れ有り。杖を携えて則ち帰らんと欲す。
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立正安国論・『立正安国論』客の納得と対策の問い客、則ち和して曰く、下経に謗僧一人を難ずる論あり。然れども大乗経六百三十七部二千八百八十三巻、并びに一切の諸仏・菩薩及び諸世天等を、「捨閉閣抛」の四字に載す。其の詞は論ずる勿きなり、其の文は顕然なり。此の瑕瑾を守りて其の誹謗を成す。迷いて言うか、覚りて語るか。賢愚弁ぜず、是非定め難し。但し災難の起こりは選択の由、盛んに其の詞を増し、弥々其の旨を談ず。所詮は天下泰平・国土安穏は、君臣の楽しむ所、土民の思う所なり。夫れ国は法に依りて昌え、法は人に因りて貴し。国亡び人滅せば、仏を誰か崇むべき、法を誰か信ずべけんや。先ず国家を祈りて須く仏法を立つべし。若し災いを消し難を止むる術有らば、聞かんと欲す。
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立正安国論・『立正安国論』客の憤りと名指しの要求客猶お憤りて曰わく、明王は天地に因りて化を成し、聖人は理非を察して世を治む。世上の僧侶は天下の帰する所なり。悪侶に於ては明王信ずべからず、非聖人は賢哲仰ぐべからず。今賢聖の尊重を以て、則ち龍象の軽からざることを知る。何ぞ妄言を吐いて強いて誹謗を成す。誰人を以て悪比丘と謂うや。委細に聞かんと欲す。
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『弘道館記述義』・中世以降・仏教が広まった事情と日本への伝来五経より数十百倍多し。其の盛んなること推して知るべし。是の際に当たり九州糜乱し、政教廃欠す。其の儒と称する者は皆虚無を以て宗と為し、雕琢を以て文と為す。其の宗を挙げて寂滅の教に合せ、其の文を騁せて誇誕の説を潤飾す。故に朱熹謂へらく、晋宋の間、釈氏の文字も亦只だ老荘の説を以て鋪張すと。蘇軾謂へらく、仏経の訳は必ず儒の能く言ふ者に託し、然る後に遠く伝はると。然らば則ち仏法の世に大いに行はるる所以の者は、文人学士力有りと。其の罪誅するに勝ふべけんや。神州の仏有るは、欽明の朝より漸み、用明・推古の間に瀰漫す。蓋し神皇の道は正大簡易にして、仲哀以上は率由して愆たず、応神以降始めて儒教を資る。而して当時の群臣は未だ叙旨を推し弘めて以て斯の道を培養せず。又不幸にして国家に故多く、雄略・武烈の間、皇統幾んど危ふく、民聊かも生きず。列聖の神を敬ひ民を愛するの道、是に至りて大いに荒る。亡幾くもなく蘇我稲目大臣に任じ、実に浮図の端を啓く。然れども神皇の徳沢の人に入ること深く、物部尾輿、中臣鎌子の若きは、侃侃として正議し余力を遺さず。当時の天皇も亦能く英断し、屢々仏を水火に投ず。固より夫の東漢の君臣の無識に比するに非ざるなり。独り蘇我氏のみ禍心を包蔵すること、一朝一夕の故に非ず。且つ祖先の勲を挟み、(蘇我氏は武内宿禰の後なり。)外戚の親に拠り、大臣の権を握る。而して又上宮太子一意に仏を奉じ、之が内応を為す有り。則ち奸謀の稔熟し邪教の瀰漫するも怪しむに足らず。終に用明は仏に帰し、(至尊の仏に帰すること、帝を始めと為す。)崇峻は暴崩し、(人臣の弑逆、蘇我馬子を始めと為す。)推古は寺観を創立して大いに其の法を弘む。中宗の英明、大織冠の智略を以てすと雖も、其の禍を洞察して以て其の根本を絶つこと能はず。聖武の自ら三宝の奴と称し、孝謙の妖僧に爵するに法王を以てするに至りて、横流極まれり。所謂道先づ廃れて然る後に異端入るとは、神州と西土と、彼此一轍なり。世を惑はし民を誣ひ、永く道の大蠹と為る。亦深く慨くべからずや。抑も浮屠の害は、古人之を論ずること詳らかなり。其の怪妄虚誕は固より道ふに足らず。而るに其の熾んなること彼の若き者は其の故何ぞや。曰く、愚冥の民は信じて之を奉じ、智巧の士は利して之を使ひ、純明剛毅の人は悪みて之を排し、姦詐狡猾の賊は
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立正安国論・『立正安国論』客の疑い、斬罪か客曰く、若し謗法の輩を断じ、若し仏禁の違者を絶さば、彼の経文の如く斬罪に行うべきか。若し然らば殺害相加わりて罪業何為んや。則ち大集経に云く、頭を剃り袈裟を著け、戒を持ち及び戒を毀るも、天人供養すべし、彼は則ち我を供養すと為す、是れ我が子なり、若し彼を搥ち打たば則ち我が子を打つと為す、若し罵辱せば彼れ則ち我を毀辱すと為す、と。料り知んぬ、善悪を論ぜず是非を択ぶこと無く、僧侶たらば供養を展ぶべし、何ぞ其の子を打辱して其の父を悲哀せしめんや、忝くも。彼の竹杖の害は目連尊者なり、永く無間の底に沈む。提婆達多の蓮華比丘尼を殺すや、久しく阿鼻の焔に咽ぶ。先証斯れ明らかなり、後昆最も恐るべし。誠に謗法は既に禁言を破ると似たり、此の事信じ難し、如何が意得べき。主人云く、客は明らかに経文を見て猶お斯の言を成す、心の及ばざるか、理の通ぜざるか。全く仏子を禁ずるに非ず、唯だ偏えに謗法を悪むなり。夫れ釈迦の以前の仏教は其の罪を斬ると雖も、能仁の以後の経説は則ち其の施を止む。然れば則ち四海万邦一切の四衆、其の悪を施さず、皆な此の善に帰せば、何の難か並び起こらん、何の災か競い来たらん。客則ち席を避け襟を刷いて曰く、仏教斯の区、旨趣窮め難く、審らかならざること多端なり、理非明らかならざるにあらず。但し法然聖人の選択、現在せり。諸仏諸経諸菩薩諸天等を以て捨閉閣抛の字を載す、其の文顕然なり。茲に因りて聖人国を去り、善神所を捨て、天下飢渇し、世上疫病す。今主人広く経文を引きて明らかに理非を示す、故に妄執既に翻り、耳目数ば朗らかなり。所詮国土泰平、天下安穏は、一人より万民に至るまで好む所なり、楽う所なり。早く一闡提の施を止め、永く衆僧尼の供を致し、仏海の白浪を収め、法山の緑林を截り、世は羲農の世と成り、国は唐虞の国と為らん。然して後に法水の浅深を斟酌し、仏家の棟梁を崇重せん。
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立正安国論・『立正安国論』主人の再反論主人、笑みて止めて曰く、辛きを蓼葉に習いて、臭きを溷厠に忘る。善言を聞きて悪言と思い、謗者を指して聖人と謂い、正師を疑いて悪侶に擬す。其の迷い誠に深く、其の罪浅からず。事の起こりを聞け。委しく其の趣を談ぜん。釈尊説法の内、一代五時の間に先後を立て、権実を弁ず。而るに曇鸞・道綽・善導は既に権に就いて実を忘れ、先に依りて後を捨つ。未だ仏教の淵底を探らざる者なり。就中、法然は其の流れを酌むと雖も、其の源を知らず。所以は何ん。大乗経六百三十七部二千八百八十三巻、并びに一切の諸仏菩薩及び諸の世天等に、捨閉閣抛の字を置きて、一切衆生の心を蕩かす。是れ偏に私曲の詞を展べ、全く仏経の説を見ず。妄語の至り、悪口の科、言にして比無く、責めて余り有り。人皆其の妄語を信じ、悉く彼の選択を貴ぶ。故に浄土の三経を崇めて衆経を抛ち、極楽の一仏を仰ぎて諸仏を忘る。誠に是れ諸仏諸経の怨敵、聖僧衆人の讐敵なり。此の邪教、広く八荒に弘まり、周く十方に遍し。