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臨済録 / 行録

師乃有頌:「大道絕同,任向西東,石火莫及,電光罔通。」溈山問仰山:「石火莫及、電光罔通,從上諸聖將什麼為人?」仰山云:「和尚意作麼生?」溈山云:「但有言說,都無寔義。」仰山云:「不然。」溈山云:「子又作麼生?」仰山云:「官不容針,私通車馬。」到金牛,牛見師來,橫按拄杖,當門踞坐。師以手敲拄杖三下,却歸堂中第一位坐。牛下來見,乃問:「夫賓主相見各具威儀,上座從何而來?太無禮生。」師云:「老和尚道什麼?」牛擬開口,師便打。牛作倒勢,師又打。牛云:「今日不著便。」溈山問仰山:「此二尊宿還有勝負也無?」仰山云:「勝即總勝,負即總負。」

新字:師乃有頌:「大道絶同,任向西東,石火莫及,電光罔通。」溈山問仰山:「石火莫及、電光罔通,従上諸聖将什麼為人?」仰山云:「和尚意作麼生?」溈山云:「但有言説,都無寔義。」仰山云:「不然。」溈山云:「子又作麼生?」仰山云:「官不容針,私通車馬。」到金牛,牛見師来,横按拄杖,当門踞坐。師以手敲拄杖三下,却帰堂中第一位坐。牛下来見,乃問:「夫賓主相見各具威儀,上座従何而来?太無礼生。」師云:「老和尚道什麼?」牛擬開口,師便打。牛作倒勢,師又打。牛云:「今日不著便。」溈山問仰山:「此二尊宿還有勝負也無?」仰山云:「勝即総勝,負即総負。」

書き下し

師乃ち頌有り、「大道は同を絶し、西東に向かうに任す。石火も及ぶこと莫く、電光も通ずること罔し。」潙山、仰山に問う、「石火も及ぶこと莫く、電光も通ずること罔し、従上の諸聖、什麼を将ってか人の為にする。」仰山云く、「和尚の意作麼生。」潙山云く、「但だ言説有るのみにして、都て寔義無し。」仰山云く、「然らず。」潙山云く、「子又た作麼生。」仰山云く、「官には針をも容れず、私には車馬を通ず。」金牛に到る。牛、師の来たるを見て、拄杖を横按して門に当たって踞坐す。師、手を以て拄杖を敲くこと三下して、却って堂中の第一位に帰って坐す。牛下り来たって見て、乃ち問う、「夫れ賓主相見するには各おの威儀を具う。上座何れよりして来たる、太だ無礼生。」師云く、「老和尚、什麼をか道う。」牛口を開かんと擬す。師便ち打つ。牛倒るる勢を作す。師又た打つ。牛云く、「今日便を著けず。」潙山、仰山に問う、「此の二尊宿、還って勝負有りや。」仰山云く、「勝つときは即ち総に勝ち、負くるときは即ち総に負く。」

現代語訳

(鳳林が口をつぐむと)師はそこで頌(じゅ、詩句)を作った。「大道は同じくするものを絶しており、西へも東へも思うままに向かう。火打石の火花も及ばず、稲妻の光も通じない。」潙山が仰山に問うた。「火打石の火花も及ばず、稲妻の光も通じないというなら、昔からの聖者たちは何をもって人のためにしたのか。」仰山「和尚はどうお考えか。」潙山「ただ言葉があるだけで、まったく実の意味はない。」仰山「そうではない。」潙山「ではおまえはどうだ。」仰山「表向きには針一本通さぬが、裏では車も馬も通す。」金牛(きんぎゅう)に着くと、金牛は師が来るのを見て、拄杖を横に構えて門の真ん中にどっかと坐った。師は手で拄杖を三度叩き、そのまま僧堂に戻って第一の席に坐った。金牛が降りて来てこれを見て問うた。「そもそも客と主が相見えるには、それぞれ礼儀を具えるものだ。上座はどこから来たのか、ひどく無礼ではないか。」師「老和尚は何を言っているのか。」金牛が口を開こうとすると、師はすぐに打った。金牛が倒れる素振りをすると、師はまた打った。金牛は言った。「今日はついていない。」潙山が仰山に問うた。「この二人の老師に勝ち負けはあったか。」仰山は言った。「勝つなら二人とも勝ち、負けるなら二人とも負けだ。」

解説

鳳林との応酬の締めくくりに、臨済は「大道は同を絶す」と頌う。真理は何とも同じくならず、火花も稲妻も追いつかない速さで働く、というのである。潙山が、それなら古来の聖者は何で人を導いたのかと問い、「言葉だけで実義はない」と試すと、仰山は「官には針を容れず、私には車馬を通ず」と返す。建前では一切の言葉を許さないが、実際には方便を大いに通す、という禅の教化の二面性である。金牛との場面では、門を塞ぐ拄杖を三度叩いて堂の第一位に坐る臨済が、礼を説く金牛を二度打つ。仰山の「勝てば総に勝ち、負ければ総に負く」は、真剣に渡り合った二人に優劣はないという評である。原則を掲げつつ現場の融通を許す仕組みは、組織の運営にもそのまま当てはまる。

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