臨済録 / 行録
師臨遷化時據坐云:「吾滅後不得滅却吾正法眼藏。」三聖出云:「爭敢滅却和尚正法眼藏?」師云:「已後有人問爾,向他道什麼?」三聖便喝。師云:「誰知吾正法眼藏向這瞎驢邊滅却。」言訖端然示寂。
新字:師臨遷化時拠坐云:「吾滅後不得滅却吾正法眼蔵。」三聖出云:「争敢滅却和尚正法眼蔵?」師云:「已後有人問爾,向他道什麼?」三聖便喝。師云:「誰知吾正法眼蔵向這瞎驢辺滅却。」言訖端然示寂。
書き下し
師遷化に臨む時、據坐して云く、「吾が滅後、吾が正法眼藏を滅却するを得ざれ」と。三聖出でて云く、「爭でか敢へて和尚の正法眼藏を滅却せん」と。師云く、「已後人有りて爾に問はば、他に向かって什麼をか道はん」と。三聖便ち喝す。師云く、「誰か知らん、吾が正法眼藏、這の瞎驢の邊に向かって滅却せんとは」と。言ひ訖りて端然として示寂す。
現代語訳
慧照が世を去るにのぞんだとき、坐したまま言った。「わしの滅後、わが正法眼蔵を滅ぼしてはならぬ」。三聖が進み出て言った。「どうして和尚の正法眼蔵を滅ぼしましょうか」。慧照は言った。「この先、人がおまえに問うたら、その人に何と言うのか」。三聖はすかさず喝した。慧照は言った。「誰が知ろう、わが正法眼蔵が、この盲ろばのところで滅びようとは」。そう言い終えて、端然として世を去った。
解説
『臨済録』の最後の一段であり、臨済の最期である。まず「吾が正法眼藏を滅却するを得ざれ」と、伝えたものを絶やすなと命じる。弟子の三聖が「どうして滅ぼしましょうか」と受ける。すると臨済は具体的に問う。「已後人有りて爾に問はば、他に向かって什麼をか道はん」——この先、人に問われたら何と答えるのか。継ぐと言うだけでは足りない、実際にどうするのかを見せよ、という詰めである。三聖は答えず、喝した。師から受け取ったやり方をそのまま返した。それを見て臨済が言い残したのが、「誰か知らん、吾が正法眼藏、這の瞎驢の邊に向かって滅却せんとは」。わが法がこの盲ろばのところで滅びるとは、という一言である。罵っているのか、認めているのか。言葉のうえでは滅びると言い、内容としては後継を認めている。臨済らしい最後で、褒め言葉を一つも使わずに人を認めてしまう。そして「端然として示寂す」——姿勢を崩さずに世を去った。伝えるとは何かを、最期まで問いの形で置いていった。
この章句が説くこと
三聖慧然正法眼蔵瞎驢辺滅却臨済の遷化
関連する章句
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『碧巌録』第四十九則看よ他の二人、最初は孤危峭峻、末後は二俱に死郎当。且く道へ、還つて得失勝負有りや。他の作家の酬唱は、必ず此を知らず。三聖、臨済に在つて院主と作る。臨済遷化に垂示して云く、「吾が去りて後、吾が正法眼蔵を滅することを得ざれ」。三聖出でて云く、「争でか敢へて和尚の正法眼蔵を滅却せん」。済云く、「已後人有つて汝に問はば、作麼生」。三聖便ち喝す。済云く、「誰か知らん吾が正法眼蔵、這の瞎驢辺に向かつて滅却せんとは」。三聖便ち礼拝す。他は是れ臨済の真子、方に敢へて此くの如く酬唱す。雪竇末後に、只だ透網の金鱗を頌して、他の作家相見の処を顕す。頌に云く。
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『臨済録』行録師、諱は義玄、曹州南華の人なり。俗姓は邢氏。幼にして穎異、長じて孝を以て聞こゆ。落髪受具するに及んで、講肆に居り、毘尼を精究し、経論を博賾(はくさく)す。俄にして歎じて曰く、「此れは済世の医方なり、教外別伝の旨に非ず。」即ち衣を更えて游方し、首めに黄檗に参じ、次に大愚に謁す。其の機縁の語句は行録に載す。既に黄檗の印可を受け、尋いで河北鎮州城の東南隅に抵(いた)り、滹沱河の側に臨む小院に住持す。其の臨済は地に因って名を得たり。時に普化先に彼に在り、佯狂して衆に混じ、聖凡測る莫し。師至るや即ち之を佐く。師正に化を旺んにするに、普化全身脱去す。乃ち仰山小釈迦の懸記に符するなり。適(たまた)ま兵革に丁(あた)り、師即ち棄て去る。太尉默君和、城中に於いて宅を捨して寺と為し、亦た臨済を以て額と為し師を迎えて居らしむ。後に払衣して南邁し河府に至る。府主王常侍、師礼を以て延く。住すること未だ幾ばくならずして、即ち大名府の興化寺に来たり、東堂に居す。師、疾無くして、忽ち一日、衣を摂めて拠坐し、三聖と問答し畢って、寂然として逝く。時に唐の咸通八年丁亥、孟陬月十日なり。門人、師の全身を以て塔を大名府の西北隅に建つ。勅して慧照禅師と諡し、塔を澄霊と号す。合掌稽首して、師の大略を記す。鎮州保寿の嗣法の小師延沼謹んで書す。
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『驢鞍橋』卷下師始め室を閉つといへとも、末後両三日に至て諸人の見舞を致すことを許し給ふ。時に一僧なほなほ法要を示し給へと云ふ。師はつたと睨んて曰く、何と云ふ□、我三十年云ふことをえうけずして、左様のことを云ふか、正三は死ぬと也。その後法要を問ふ者なし。時に明暦元年乙未六月二十五日申の刻、安然として遷化し給ふ也。
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『臨済録』上堂上堂。僧有り出でて礼拝す。師便ち喝す。僧云く、「老和尚、探頭すること莫くんば好し。」師云く、「爾道え、什麼の処にか落在す。」僧便ち喝す。又た僧有り問う、「如何なるか是れ仏法の大意。」師便ち喝す。僧礼拝す。師云く、「爾道え、好喝なりや也た無や。」僧云く、「草賊大敗す。」師云く、「過、什麼の処にか在る。」僧云く、「再犯は容さず。」師便ち喝す。是の日、両堂の首座相見えて、同時に喝を下す。僧、師に問う、「還って賓主有りや也た無や。」師云く、「賓主歴然。」師云く、「大衆、臨済が賓主の句を会せんと要せば、堂中の二首座に問取せよ。」便ち座を下る。上堂。僧問う、「如何なるか是れ仏法の大意。」師、払子を竪起す。僧便ち喝す。師便ち打つ。又た僧問う、「如何なるか是れ仏法の大意。」師亦た払子を竪起す。僧便ち喝す。師も亦た喝す。僧擬議す。師便ち打つ。師乃ち云く、「大衆、夫れ法の為にする者は、喪身失命を避けず。我れ二十年、黄檗先師の処に在って、三度仏法的的の大意を問い、三度他の杖を賜うことを蒙る。蒿枝の払著するが如くに相似たり。如今更に一頓の棒を得て喫せんことを思う。誰人か我が為に行じ得ん。」時に僧有り衆を出でて云く、「某甲行じ得ん。」師、棒を拈じて他に与う。其の僧接せんと擬す。師便ち打つ。上堂。僧問う、「如何なるか是れ剣刃上の事。」師云く、「禍事、禍事。」僧擬議す。師便ち打つ。問う、「秖だ石室行者の、碓を踏んで脚を移すことを忘却するが如きは、什麼の処に向かってか去る。」師云く、「深泉に没溺す。」師乃ち云く、「但だ来たる者有らば伊を虧欠せず、総に伊が来処を識る。若し与麼に来たらば、恰も失却するに似たり。与麼に来たらざれば、縄無くして自ら縛す。一切時中、乱りに斟酌すること莫かれ。会と不会と、都来是れ錯。分明に与麼に道う、天下の人の貶剝するに一任す。久立珍重。」
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『臨済録』行録師松を栽うる次いで、黃蘗問ふ、「深山裏に許多を栽ゑて、什麼をか作す」と。師云く、「一には山門與に境致を作し、二には後人與に標榜を作す」と。道ひ了りて、钁頭を將って地を打つこと三下。黃蘗云く、「然りと雖も是くの如し、子已に吾が三十棒を喫し了れり」と。師又た钁頭を以て地を打つこと三下、噓噓の聲を作す。黃蘗云く、「吾が宗、汝に到りて大いに世に興らん」と。後に溈山此の語を舉げて仰山に問ふ、「黃蘗當時秖だ臨濟一人に囑す。更に人有りや」と。仰山云く、「有り。秖だ是れ年代深遠にして、和尚に舉似せんと欲せず」と。溈山云く、「然りと雖も是くの如し、吾も亦た知らんことを要す。汝但だ舉し看よ」と。仰山云く、「一人南を指して吳越に令行はれ、大風に遇へば即ち止まん」と。
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『臨済録』上堂山僧今日、事已むを獲ずして、曲げて人情に順ひ方に此の座に登る。若し祖宗門下に約して大事を稱揚せば、直だ是れ口を開くを得ず、爾が足を措く處無からん。山僧此の日、常侍の堅く請ふを以て、那んぞ綱宗を隱さん。還た作家の戰將、直下に陣を展べ旗を開く者有りや。眾に對して證據し看よ」と。僧問ふ、「如何なるか是れ佛法の大意」と。師便ち喝す。僧禮拜す。師云く、「這箇の師僧、却つて論を持するに堪へたり」と。師に問ふ、「誰が家の曲をか唱ふる。宗風阿誰にか嗣ぐ」と。師云く、「我れ黃蘗の處に在りて、三度發問し、三度打たる」と。僧擬議す。師便ち喝し、隨後して打ちて云く、「虛空裏に向かって橛を釘つ可からざるなり」と。座主有りて問ふ、「三乘十二分教、豈に是れ佛性を明かすにあらずや」と。師云く、「荒草曾て鋤かず」と。主云く、「佛豈に人を賺かんや」と。師云く、「佛は什麼の處にか在る」と。主語無し。師云く、「常侍の前に對して老僧を瞞かんと擬す。速やかに退け、速やかに退け。他の別人の諸問を妨ぐ」と。復た云く、「此の日の法筵は一大事の為の故なり。更に問話する者有りや。速やかに問ひ來れ。爾纔かに口を開けば、早く交涉勿きなり。
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