臨済録 / 示衆
爾一念心秖向空拳指上生寔解,根境法中虛揑怪,自輕而退屈,言:『我是凡夫,他是聖人。』禿屢生!有甚死急?披他師子皮,却作野干鳴。大丈夫漢不作丈夫氣息,自家屋裏物不肯信,秖麼向外覓,上他古人閑名句,倚陰博陽,不能特達,逢境便緣、逢塵便執,觸處惑起,自無准定。
新字:爾一念心秖向空拳指上生寔解,根境法中虚揑怪,自軽而退屈,言:『我是凡夫,他是聖人。』禿屡生!有甚死急?披他師子皮,却作野干鳴。大丈夫漢不作丈夫気息,自家屋裏物不肯信,秖麼向外覓,上他古人閑名句,倚陰博陽,不能特達,逢境便縁、逢塵便執,触処惑起,自無准定。
書き下し
爾が一念心、秖だ空拳指上に向かって実解を生じ、根境法中に虚しく揑怪し、自ら軽んじて退屈して言う、『我れは是れ凡夫、他は是れ聖人。』禿屢生、甚の死急か有る。他の師子の皮を披て、却って野干の鳴を作す。大丈夫漢、丈夫の気息を作さず、自家屋裏の物を肯えて信ぜず、秖麼に外に向かって覓め、他の古人の閑名句に上り、陰に倚り陽に博し、特達すること能わず。境に逢うては便ち縁じ、塵に逢うては便ち執し、触処に惑い起こって、自ら准定無し。
現代語訳
お前たちの一瞬の心は、ただ空の拳や月を指す指の上に本当の理解をこしらえ、感覚と対象と法の中でむなしく怪しげなことをしでかし、自分を軽んじて尻込みし、「わたしは凡夫で、あの方は聖人だ」と言う。愚か者の坊主め、何をそんなに死ぬほど焦っているのか。獅子の皮をかぶりながら、かえって野干(やかん、狐の類)の鳴き声を出している。一人前の男が一人前の気概を持たず、自分の家の中の宝を信じようとせず、ただ外に探し回り、古人の役にも立たない言葉に乗せられ、陰に寄りかかり陽にすがって、一人で抜きん出ることができない。境に出会えばすぐにそれにつられ、塵に出会えばすぐにそれに執着し、触れるところすべてで惑いを起こして、自分に定まった基準がない。
解説
関連する章句
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『臨済録』示衆如今道を學ぶ人は且く自ら信ずるを要す。外に向かって覓むる莫かれ。總て他の閑塵境に上りて、都て邪正を辨ぜず。秖だ祖有り佛有るが如きは、皆な是れ教迹中の事なり。人有りて一句子の語を拈起し、或いは隱顯の中より出づれば、便ち即ち疑ひ生じ、天を照らし地を照らし、傍家に尋ね問ふ、也た大いに忙然たり。大丈夫兒、秖麼に主を論じ賊を論じ、是を論じ非を論じ、色を論じ財を論じ、閑話を論説して日を過ごす莫かれ。山僧此の間、僧俗を論ぜず、但だ來る者有れば盡く伊を識得す。伊が甚の處に向かって出で來るに任すも、但だ聲名文句有るは、皆な是れ夢幻なり。却つて境に乘ずる底の人を見るは是れ諸佛の玄旨なり。佛境は自ら我は是れ佛境なりと稱すること能はず。還た是れ這箇の無依の道人、境に乘じて出で來る。若し人有りて出で來りて我に佛を求むれば、我れ即ち清淨の境に應じて出づ。人有りて我に菩薩を問へば、我れ即ち慈悲の境に應じて出づ。人有りて我に菩提を問へば、我れ即ち淨妙の境に應じて出づ。人有りて我に涅槃を問へば、我れ即ち寂靜の境に應じて出づ。境は即ち萬般差別なるも、人は即ち別ならず。所以に物に應じて形を現ずること、水中の月の如し。道流、爾若し如法なるを得んと欲せば、直だ須らく是れ大丈夫兒にして始めて得べし。
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『臨済録』示衆何を以てか此の如くなる。秖だ我が見処別なるが為に、外、凡聖を取らず、内、根本に住せず、見徹して更に疑謬せず。」師、衆に示して云く、
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『臨済録』示衆爾一生秖だ這箇の見解を作して、這の一双の眼に辜負す。冷噤噤地にして、凍凌上の驢駒の如くに相似たり。『我れ敢えて善知識を毀らず、口業を生ぜんことを怕る。』道流、夫れ大善知識にして始めて敢えて仏を毀り祖を毀り、天下を是非し、三蔵教を排斥し、諸の小児を罵辱し、逆順の中に向かって人を覓む。所以に我れ十二年中に於いて一箇の業性を求むるに、芥子許りの如きも得べからず。若し新婦子禅師に似たらば、便即ち院を趁い出されて、飯を与えて喫せしめられず、不安不楽ならんことを怕る。古よりの先輩は到る処に人信ぜず、遞出せられて始めて是れ貴きことを知る。若し到る処に人尽く肯わば、什麼をか作すに堪えん。所以に師子一吼すれば野干脳裂す。道流、諸方説く、道の修すべき有り、法の証すべき有りと。爾説け、何の法をか証し、何の道をか修す。爾今の用処、什麼物をか欠少す。何処をか修補せん。後生の小阿師会せず、便即ち這般の野狐精魅を信じ、他の事を説いて人を繋縛するを許す。言う、理行相応し、三業を護惜して始めて成仏することを得と。此の如く説く者は春の細雨の如し。古人云く、『路に達道の人に逢わば、第一に道に向かうこと莫かれ。』所以に言う、若し人道を修すれば道行われず、万般の邪境頭を競うて生ず。智剣出で来たれば一物も無し、明頭未だ顕れざるに暗頭明らかなり。所以に古人云く、『平常心是れ道。』大徳、什麼物をか覓む。現今目前聴法無依の道人、歴歴地に分明にして、未だ曾て欠少せず。爾若し祖仏と別ならざることを得んと欲せば、但だ是の如く見よ。疑誤することを用いず。爾が心心異ならざる、之を活祖と名づく。心若し異なること有らば、則ち性相別なり。心異ならざるが故に、即ち性相別ならず。」問う、「如何なるか是れ心心異ならざる処。」師云く、「爾問わんと擬すれば早く異なり了れり。性相各おの分かる。道流、錯ること莫かれ。世・出世の諸法は、皆な自性無く、亦た生性無し。但だ空名有るのみ、名字も亦た空なり。
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『臨済録』示衆如し大器なる者は、直だ人の惑を受けざらんことを要す。隨處に主と作れば、立處皆な真なり。但だ來る者有るも皆な受くるを得ざれ。爾一念疑へば即ち魔心に入る。菩薩の疑ふ時、生死の魔便を得るが如し。但だ能く念を息めて、更に外に求むる莫かれ。物來れば則ち照らせ。爾但だ現今の用底を信ぜよ、一箇の事も無し。爾が一念心、三界を生じ、緣に隨ひ境に被はれて分かれて六塵と為る。儞如今の應用の處、什麼をか欠少せる。一剎那の間に便ち淨に入り穢に入り、彌勒の樓閣に入り、三眼の國土に入り、處處に遊履するも、唯だ空名を見るのみ。
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『臨済録』示衆「儞諸方、箇の臨済老漢有りと聞道して、出で来たって便ち問難して語を得ざらしめんと擬するも、山僧に全体作用せらる。学人空しく眼を開き得るも、口総に動き得ず、懵然として何を以てか我れに答えんことを知らず。我れ伊に向かって道う、『龍象の蹴踏は驢の堪うる所にあらず。』爾諸処に秖だ胸を指し肋を点じて、我れ禅を解し道を解すと道うも、三箇両箇、這裏に到っては奈何ともせず。咄哉、爾這箇の身心を将って到る処に両片皮を簸して閭閻を誑謼す。鉄棒を喫する日有らん。出家児にあらず、尽く阿修羅界に向かって摂せられん。
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『臨済録』示衆爾若し自ら信不及ならば、即便ち忙忙地に一切の境に徇って転じ、他の万境に回換せられて、自由を得ず。爾若し能く念念馳求の心を歇得せば、便ち祖仏と別ならず。爾、祖仏を識らんと欲得すや。秖だ爾が面前聴法底、是れなり。学人信不及にして、便ち外に向かって馳求す。設い求め得る者も、皆な是れ文字の勝相にして、終に他の活祖意を得ず。錯ること莫かれ、諸禅徳。此の時遇わずんば、万劫千生、三界に輪回し、好境に徇って掇し去り、驢牛の肚裏に生ぜん。道流、山僧が見処に約せば、釈迦と別ならず。今日多般の用処、什麼をか欠少す。六道の神光、未だ曾て間歇せず。若し能く是の如く見得せば、秖だ是れ一生無事の人なり。大徳、三界は安きこと無し、猶お火宅の如し。此れは是れ爾が久しく停住する処にあらず。無常の殺鬼は一刹那の間に、貴賤老少を揀ばず。爾、祖仏と別ならざらんと要せば、但だ外に求むること莫かれ。爾が一念心上の清浄の光は、是れ爾が屋裏の法身仏なり。爾が一念心上の無分別の光は、是れ爾が屋裏の報身仏なり。爾が一念心上の無差別の光は、是れ爾が屋裏の化身仏なり。此の三種の身は、是れ爾が即今目前聴法底の人なり。秖だ外に向かって馳求せざるが為に、此の功用有り。経論家に拠らば、三種の身を取って極則と為す。山僧が見処に約せば然らず。此の三種の身は是れ名言なり、亦た是れ三種の依なり。古人云く、『身は義に依って立し、土は体に拠って論ず。』法性の身、法性の土、明らかに知んぬ、是れ光影なることを。大徳、爾且く光影を弄する底の人を識取せよ。是れ諸仏の本源、一切処是れ道流が帰舎の処なり。是れ爾が四大の色身は説法聴法を解せず、脾胃肝胆は説法聴法を解せず、虚空は説法聴法を解せず。是れ什麼か説法聴法を解する。
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