臨済録 / 示衆
問:「如何是五無間業?」師云:「殺父、害母、出佛身血、破和合僧、焚燒經像等,此是五無間業。」云:「如何是父?」師云:「無明是父,爾一念心求起滅處不得,如響應空,隨處無事,名為殺父。」云:「如何是母?」師云:「貪愛為母,爾一念心入欲界中求其貪愛,唯見諸法空相,處處無著,名為害母。」云:「如何是出佛身血?」師云:「爾向清淨法界中無一念心生解,便處處黑暗,是出佛身血。」云:「如何是破和合僧?」師云:「爾一念心正達煩惱結使,如空無所依,是破和合僧。」云:「如何是焚燒經像?」師云:「見因緣空、心空、法空,一念決定斷,逈然無事,便是焚燒經像。大德!若如是達得,免被他凡聖名礙。
新字:問:「如何是五無間業?」師云:「殺父、害母、出仏身血、破和合僧、焚焼経像等,此是五無間業。」云:「如何是父?」師云:「無明是父,爾一念心求起滅処不得,如響応空,随処無事,名為殺父。」云:「如何是母?」師云:「貪愛為母,爾一念心入欲界中求其貪愛,唯見諸法空相,処処無著,名為害母。」云:「如何是出仏身血?」師云:「爾向清浄法界中無一念心生解,便処処黒暗,是出仏身血。」云:「如何是破和合僧?」師云:「爾一念心正達煩悩結使,如空無所依,是破和合僧。」云:「如何是焚焼経像?」師云:「見因縁空、心空、法空,一念決定断,逈然無事,便是焚焼経像。大徳!若如是達得,免被他凡聖名礙。
書き下し
問ふ、「如何なるか是れ五無間業」と。師云く、「父を殺し、母を害し、佛身より血を出だし、和合僧を破り、經像を焚燒する等、此れは是れ五無間業なり」と。云く、「如何なるか是れ父」と。師云く、「無明は是れ父なり。爾が一念心、起滅の處を求むるも得ず、響の空に應ずるが如く、隨處に無事なる、名づけて父を殺すと為す」と。云く、「如何なるか是れ母」と。師云く、「貪愛を母と為す。爾が一念心、欲界中に入りて其の貪愛を求むるも、唯だ諸法の空相を見て、處處に著する無き、名づけて母を害すと為す」と。云く、「如何なるか是れ佛身より血を出だす」と。師云く、「爾清淨法界中に向かって一念心も解を生ずる無ければ、便ち處處に黑暗なり。是れ佛身より血を出だすなり」と。云く、「如何なるか是れ和合僧を破る」と。師云く、「爾が一念心、正に煩惱結使に達すること、空の依る所無きが如くなる、是れ和合僧を破るなり」と。
現代語訳
問うた。「五無間業とは何ですか」。慧照は言った。「父を殺し、母を害し、仏の身から血を出し、和合僧を破り、経や像を焼くこと、これが五無間業だ」。問うた。「その父とは何ですか」。慧照は言った。「無明が父である。おまえの一念の心が、それの起こる場所も滅する場所も求めて得られず、響きが空に応ずるようで、どこにいても何事もない、これを父を殺すという」。問うた。「母とは何ですか」。慧照は言った。「貪りと愛着が母である。おまえの一念の心が欲界に入ってその貪愛を求めても、ただあらゆるものの空の姿を見るだけで、どこにも執着しない、これを母を害すという」。問うた。「仏の身から血を出すとは何ですか」。慧照は言った。「おまえが清らかな法界の中で、一念の心も理解を起こさなければ、そこはいたるところ真っ暗だ。これが仏の身から血を出すということだ」。問うた。「和合僧を破るとは何ですか」。慧照は言った。「おまえの一念の心が、まさに煩悩の結び目を見きわめること、それが空に依るところがないようであれば、これが和合僧を破るということだ」。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『臨済録』示衆設い有る者も、皆な是れ名言章句、小児を接引する施設の薬病、表顕の名句なり。且つ名句は自ら名句ならず、還って是れ爾が目前昭昭霊霊として鑒覚聞知照燭する底、一切の名句を安ず。大徳、五無間の業を造って方に解脱を得。」
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『臨済録』示衆道流、爾如法の見解を得んと欲せば、但だ人の惑を受くる莫かれ。裏に向かひ外に向かひ、逢著すれば便ち殺せ。佛に逢うては佛を殺し、祖に逢うては祖を殺し、羅漢に逢うては羅漢を殺し、父母に逢うては父母を殺し、親眷に逢うては親眷を殺して、始めて解脫を得ん。物と拘はらず、透脫自在なり。諸方の學道流の如きは、未だ物に依らずして出で來る底有らず。山僧、此の間に向かって頭より打つ。手上より出で來れば手上に打ち、口裏より出で來れば口裏に打ち、眼裏より出で來れば眼裏に打つ。未だ一箇の獨脫して出で來る底有らず。皆な是れ他の古人の閑機境に上る。山僧一法の人に與ふる無し。秖だ是れ病を治し縛を解くのみ。爾諸方の道流、試みに物に依らずして出で來れ。我れ爾と共に商量せんことを要す。十年五歲並びに一人も無し。皆な是れ草に依り葉に附く竹木の精靈、野狐の精魅にして、一切の糞塊の上に向かって亂咬する瞎漢なり。枉げて他の十方の信施を消して、我は是れ出家兒なりと道ふ。是くの如きの見解を作す。爾に向かって道はん、『佛無く、法無く、修無く、證無し。秖だ與麼に傍家に擬して什麼物をか求めん』と。瞎漢、頭上に頭を安く。是れ爾に什麼をか欠少せる。
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『臨済録』示衆是れ爾が目前歴歴底、一箇の形段勿くして孤明なる、是れ這箇、説法聴法を解す。若し是の如く見得せば、便ち祖仏と別ならず。但だ一切時中、更に間断すること莫かれ。触目皆な是なり。秖だ情生ずれば智隔たり、想変ずれば体殊なるが為に、所以に三界に輪回して種種の苦を受く。若し山僧が見処に約せば、甚深ならざる無く、解脱せざる無し。道流、心法は形無くして、十方に通貫す。眼に在っては見と曰い、耳に在っては聞と曰い、鼻に在っては香を嗅ぎ、口に在っては談論し、手に在っては執捉し、足に在っては運奔す。本と是れ一精明、分かれて六和合と為る。一心既に無なれば、随処に解脱す。山僧与麼に説く、意、什麼の処にか在る。秖だ道流が一切馳求して、心歇むこと能わず、他の古人の閑機境に上るが為なり。道流、山僧が見処を取らば、報化仏の頭を坐断し、十地満心も猶お客作児の如く、等妙二覚は枷を担い鎖を帯ぶる漢、羅漢辟支は猶お廁穢の如く、菩提涅槃は驢を繋ぐ橛の如し。何を以てか此の如くなる。秖だ道流が三祇劫の空なることに達せざるが為に、所以に此の障礙有り。若し是れ真正の道人ならば、終に是の如くならず。但だ能く縁に随って旧業を消し、任運に衣裳を著け、行かんと要すれば即ち行き、坐せんと要すれば即ち坐し、一念心も仏果を希求すること無し。何に縁ってか此の如くなる。古人云く、『若し業を作して仏を求めんと欲せば、仏は是れ生死の大兆なり。』大徳、時光惜しむべし。秖だ傍家に波波地に禅を学び道を学び、名を認め句を認め、仏を求め祖を求め善知識を求めて意度せんと擬す。錯ること莫かれ。道流、爾秖だ一箇の父母有り、更に何物をか求めん。爾自ら返照し看よ。古人云く、『演若達多、頭を失却す。求心歇む処、即ち無事。』大徳、且く平常なることを要す、模様を作すこと莫かれ。一般の好悪を識らざる禿奴有り、便即ち神を見、鬼を見、東を指し西を劃し、晴を好み雨を好む。是の如きの流は尽く須らく債を抵し、閻老の前に向かって熱鉄丸を呑む日有るべし。好人家の男女、這の一般の野狐精魅に著けられて、便即ち揑怪す。瞎屢生、飯銭を索めらるる日有らん。」師、衆に示して云く、
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『臨済録』示衆道流、佛法は用功の處無し。秖だ是れ平常無事、屙屎・送尿・著衣・喫飯、困じ來れば即ち臥す。愚人は我を笑ふも、智は乃ち焉れを知る。古人云く、『外に向かって工夫を作すは、總に是れ癡頑漢』と。爾且く隨處に主と作れば、立處皆な真にして、境來るも回換すること得ず。縱ひ從來の習氣、五無間の業有るも、自ら解脫の大海と為る。今時の學者は總て法を識らず、猶ほ觸鼻の羊の物に逢著すれば口裏に安くが如し。奴郎辨ぜず、賓主分かたず。是くの如きの流は邪心もて道に入る。鬧處には即ち入るを得ず、真の出家人と名づくるは、正に是れ真の俗家人なり。夫れ出家とは、須らく平常真正の見解を辨得すべし。佛を辨じ魔を辨じ、真を辨じ偽を辨じ、凡を辨じ聖を辨ず。若し是くの如く辨得せば、真の出家と名づく。若し魔と佛とを辨ぜずんば、正に是れ一家を出でて一家に入る、造業の眾生と喚ぶ。未だ真の出家と名づくるを得ず。
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『臨済録』示衆問う、「如何なるか是れ三眼国土。」師云く、「我れ儞と共に浄妙国土の中に入って、清浄の衣を著て法身仏を説く。又た無差別国土の中に入って、無差別の衣を著て報身仏を説く。又た解脱国土の中に入って、光明の衣を著て化身仏を説く。此の三眼国土は皆な是れ依変なり。経論家に約せば、法身を取って根本と為し、報化二身を用と為す。山僧が見処は、法身は即ち説法を解せず。所以に古人云く、『身は義に依って立し、土は体に拠って論ず。』法性の身、法性の土、明らかに知んぬ、是れ建立の法、依通の国土なることを。空拳黄葉、用て小児を誑かす。蒺藜夌刺、枯骨上に什麼の汁をか覓めん。心外に法無く、内も亦た得べからず。什麼物をか求めん。爾諸方言う、『道に修有り、証有り。』錯ること莫かれ。設い修し得る者有るも、皆な是れ生死の業なり。爾言う、六度万行斉しく修すと。我れ見るに皆な是れ業を造る。仏を求め法を求むるは、即ち是れ地獄の業を造る。菩薩を求むるも亦た是れ業を造る。経を看、教を看るも亦た是れ業を造る。仏と祖師とは是れ無事の人なり。所以に有漏有為も無漏無為も、清浄の業と為る。一般の瞎禿子有り、飯を飽喫し了って、便ち坐禅観行し、念漏を把捉して放起せしめず、喧を厭い静を求む。是れ外道の法なり。祖師云く、『爾若し心を住めて静を看、心を挙して外に照らし、心を摂して内に澄まし、心を凝らして定に入らば、是の如きの流は皆な是れ造作なり。』是れ爾如今与麼に聴法する底の人、作麼生か他を修し、他を証し、他を荘厳せんと擬す。渠は且つ是れ修する底の物にあらず、是れ荘厳し得る底の物にあらず。若し他をして荘厳せしめば、一切の物即ち荘厳し得ん。爾且く錯ること莫かれ。道流、爾這の一般の老師の口裏の語を取って是れ真道と為し、是れ善知識は不思議なり、『我れは是れ凡夫の心、敢えて他の老宿を測度せず』と。瞎屢生。
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『臨済録』示衆道流、是れ爾が目前の用底は祖佛と別ならず。秖麼に信ぜずして、便ち外に向かって求む。錯る莫かれ。外に向かって法無く、內も亦た得べからず。爾山僧が口裏の語を取るは、休歇無事に去るに如かず。已に起こる者は續ぐ莫かれ、未だ起こらざる者は放ち起こすを要せず。便ち爾が十年の行脚に勝る。山僧が見處に約せば如許多般無し。秖だ是れ平常に衣を著、飯を喫し、無事に時を過ごすのみ。爾諸方より來る者は皆な是れ有心に佛を求め、法を求め、解脫を求め、三界を出離せんことを求む。癡人よ。爾三界を出でんと要して、什麼の處にか去らん。佛祖は是れ賞繫底の名句なり。爾三界を識らんと欲するや。爾が今法を聽く底の心地を離れず。爾が一念心の貪は是れ欲界、爾が一念心の瞋は是れ色界、爾が一念心の癡は是れ無色界なり。是れ爾が屋裏の家具子なり。三界は自ら『我は是れ三界なり』とは道はず。還た是れ、道流、目前に靈靈地として萬般を照燭し世界を酌度する底の人、三界の為に名を安くるなり。
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