臨済録 / 示衆
「儞諸方聞道有箇臨濟老漢出來,便擬問難,教語不得,被山僧全體作用。學人空開得眼,口總動不得,懵然不知以何答我。我向伊道:『龍象蹴踏,非驢所堪。』爾諸處秖指胸點肋,道我解禪、解道,三箇兩箇到這裏不奈何。咄哉,爾將這箇身心到處簸兩片皮誑謼閭閻,喫鐵棒有日在,非出家兒,盡向阿修羅界攝。
新字:「儞諸方聞道有箇臨済老漢出来,便擬問難,教語不得,被山僧全体作用。学人空開得眼,口総動不得,懵然不知以何答我。我向伊道:『竜象蹴踏,非驢所堪。』爾諸処秖指胸点肋,道我解禅、解道,三箇両箇到這裏不奈何。咄哉,爾将這箇身心到処簸両片皮誑謼閭閻,喫鉄棒有日在,非出家児,尽向阿修羅界摂。
書き下し
「儞諸方、箇の臨済老漢有りと聞道して、出で来たって便ち問難して語を得ざらしめんと擬するも、山僧に全体作用せらる。学人空しく眼を開き得るも、口総に動き得ず、懵然として何を以てか我れに答えんことを知らず。我れ伊に向かって道う、『龍象の蹴踏は驢の堪うる所にあらず。』爾諸処に秖だ胸を指し肋を点じて、我れ禅を解し道を解すと道うも、三箇両箇、這裏に到っては奈何ともせず。咄哉、爾這箇の身心を将って到る処に両片皮を簸して閭閻を誑謼す。鉄棒を喫する日有らん。出家児にあらず、尽く阿修羅界に向かって摂せられん。
現代語訳
「お前たちは諸方で臨済という老いぼれがいると聞きつけて、やって来ては難問をぶつけて言葉に詰まらせてやろうとするが、わたしに全身全霊ではたらきかけられてしまう。修行者はむなしく目を見開くばかりで、口はまったく動かせず、ぼうっとして、何と答えればよいか分からない。わたしはその者に言う。「龍や象が蹴り踏むのは、ロバの耐えられるところではない。」お前たちはあちこちで胸を指さし脇腹を叩いて、自分は禅が分かった道が分かったと言うが、二人三人とここへ来ても、どうすることもできない。ちぇっ、お前たちはこの身と心を持ち歩いて、どこでも二枚の唇をばたつかせて村の人々をだましている。いつか鉄の棒を食らう日が来るぞ。出家の者ではない。みな阿修羅(あしゅら、争いを好む鬼神)の世界に取り込まれるだろう。
解説
関連する章句
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『臨済録』示衆爾一生秖だ這箇の見解を作して、這の一双の眼に辜負す。冷噤噤地にして、凍凌上の驢駒の如くに相似たり。『我れ敢えて善知識を毀らず、口業を生ぜんことを怕る。』道流、夫れ大善知識にして始めて敢えて仏を毀り祖を毀り、天下を是非し、三蔵教を排斥し、諸の小児を罵辱し、逆順の中に向かって人を覓む。所以に我れ十二年中に於いて一箇の業性を求むるに、芥子許りの如きも得べからず。若し新婦子禅師に似たらば、便即ち院を趁い出されて、飯を与えて喫せしめられず、不安不楽ならんことを怕る。古よりの先輩は到る処に人信ぜず、遞出せられて始めて是れ貴きことを知る。若し到る処に人尽く肯わば、什麼をか作すに堪えん。所以に師子一吼すれば野干脳裂す。道流、諸方説く、道の修すべき有り、法の証すべき有りと。爾説け、何の法をか証し、何の道をか修す。爾今の用処、什麼物をか欠少す。何処をか修補せん。後生の小阿師会せず、便即ち這般の野狐精魅を信じ、他の事を説いて人を繋縛するを許す。言う、理行相応し、三業を護惜して始めて成仏することを得と。此の如く説く者は春の細雨の如し。古人云く、『路に達道の人に逢わば、第一に道に向かうこと莫かれ。』所以に言う、若し人道を修すれば道行われず、万般の邪境頭を競うて生ず。智剣出で来たれば一物も無し、明頭未だ顕れざるに暗頭明らかなり。所以に古人云く、『平常心是れ道。』大徳、什麼物をか覓む。現今目前聴法無依の道人、歴歴地に分明にして、未だ曾て欠少せず。爾若し祖仏と別ならざることを得んと欲せば、但だ是の如く見よ。疑誤することを用いず。爾が心心異ならざる、之を活祖と名づく。心若し異なること有らば、則ち性相別なり。心異ならざるが故に、即ち性相別ならず。」問う、「如何なるか是れ心心異ならざる処。」師云く、「爾問わんと擬すれば早く異なり了れり。性相各おの分かる。道流、錯ること莫かれ。世・出世の諸法は、皆な自性無く、亦た生性無し。但だ空名有るのみ、名字も亦た空なり。
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『臨済録』示衆爾が一念心、秖だ空拳指上に向かって実解を生じ、根境法中に虚しく揑怪し、自ら軽んじて退屈して言う、『我れは是れ凡夫、他は是れ聖人。』禿屢生、甚の死急か有る。他の師子の皮を披て、却って野干の鳴を作す。大丈夫漢、丈夫の気息を作さず、自家屋裏の物を肯えて信ぜず、秖麼に外に向かって覓め、他の古人の閑名句に上り、陰に倚り陽に博し、特達すること能わず。境に逢うては便ち縁じ、塵に逢うては便ち執し、触処に惑い起こって、自ら准定無し。
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『臨済録』示衆道流、爾如法の見解を得んと欲せば、但だ人の惑を受くる莫かれ。裏に向かひ外に向かひ、逢著すれば便ち殺せ。佛に逢うては佛を殺し、祖に逢うては祖を殺し、羅漢に逢うては羅漢を殺し、父母に逢うては父母を殺し、親眷に逢うては親眷を殺して、始めて解脫を得ん。物と拘はらず、透脫自在なり。諸方の學道流の如きは、未だ物に依らずして出で來る底有らず。山僧、此の間に向かって頭より打つ。手上より出で來れば手上に打ち、口裏より出で來れば口裏に打ち、眼裏より出で來れば眼裏に打つ。未だ一箇の獨脫して出で來る底有らず。皆な是れ他の古人の閑機境に上る。山僧一法の人に與ふる無し。秖だ是れ病を治し縛を解くのみ。爾諸方の道流、試みに物に依らずして出で來れ。我れ爾と共に商量せんことを要す。十年五歲並びに一人も無し。皆な是れ草に依り葉に附く竹木の精靈、野狐の精魅にして、一切の糞塊の上に向かって亂咬する瞎漢なり。枉げて他の十方の信施を消して、我は是れ出家兒なりと道ふ。是くの如きの見解を作す。爾に向かって道はん、『佛無く、法無く、修無く、證無し。秖だ與麼に傍家に擬して什麼物をか求めん』と。瞎漢、頭上に頭を安く。是れ爾に什麼をか欠少せる。
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『臨済録』上堂上堂。僧有り出でて礼拝す。師便ち喝す。僧云く、「老和尚、探頭すること莫くんば好し。」師云く、「爾道え、什麼の処にか落在す。」僧便ち喝す。又た僧有り問う、「如何なるか是れ仏法の大意。」師便ち喝す。僧礼拝す。師云く、「爾道え、好喝なりや也た無や。」僧云く、「草賊大敗す。」師云く、「過、什麼の処にか在る。」僧云く、「再犯は容さず。」師便ち喝す。是の日、両堂の首座相見えて、同時に喝を下す。僧、師に問う、「還って賓主有りや也た無や。」師云く、「賓主歴然。」師云く、「大衆、臨済が賓主の句を会せんと要せば、堂中の二首座に問取せよ。」便ち座を下る。上堂。僧問う、「如何なるか是れ仏法の大意。」師、払子を竪起す。僧便ち喝す。師便ち打つ。又た僧問う、「如何なるか是れ仏法の大意。」師亦た払子を竪起す。僧便ち喝す。師も亦た喝す。僧擬議す。師便ち打つ。師乃ち云く、「大衆、夫れ法の為にする者は、喪身失命を避けず。我れ二十年、黄檗先師の処に在って、三度仏法的的の大意を問い、三度他の杖を賜うことを蒙る。蒿枝の払著するが如くに相似たり。如今更に一頓の棒を得て喫せんことを思う。誰人か我が為に行じ得ん。」時に僧有り衆を出でて云く、「某甲行じ得ん。」師、棒を拈じて他に与う。其の僧接せんと擬す。師便ち打つ。上堂。僧問う、「如何なるか是れ剣刃上の事。」師云く、「禍事、禍事。」僧擬議す。師便ち打つ。問う、「秖だ石室行者の、碓を踏んで脚を移すことを忘却するが如きは、什麼の処に向かってか去る。」師云く、「深泉に没溺す。」師乃ち云く、「但だ来たる者有らば伊を虧欠せず、総に伊が来処を識る。若し与麼に来たらば、恰も失却するに似たり。与麼に来たらざれば、縄無くして自ら縛す。一切時中、乱りに斟酌すること莫かれ。会と不会と、都来是れ錯。分明に与麼に道う、天下の人の貶剝するに一任す。久立珍重。」
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『臨済録』示衆諸方の学人来たるが如きは、山僧此の間に三種の根器を作して断ず。如し中下の根器来たらば、我れ便ち其の境を奪って、其の法を除かず。或いは中上の根器来たらば、我れ便ち境法倶に奪う。如し上上の根器来たらば、我れ便ち境法人倶に奪わず。如し出格の見解の人有って来たらば、山僧此の間には便ち全体作用して根器を歴ず。「大徳、這裏に到っては、学人の力を著くる処、風を通ぜず、石火電光も即ち過ぎ了れり。学人若し眼定動せば、即ち交渉没し。心を擬すれば即ち差い、念を動ずれば即ち乖く。人の解する者有らば、目前を離れず。大徳、爾鉢嚢屎担子を担って、傍家に走って仏を求め法を求む。即今与麼に馳求する底、爾還って渠を識るや。活撥撥地にして、秖だ是れ根株勿し。擁すれども聚まらず、撥すれども散ぜず。求著すれば即ち転た遠く、求めざれば還って目前に在り。霊音耳に属す。若し人信ぜずんば、徒らに百年を労せん。
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『臨済録』示衆是れ爾が目前歴歴底、一箇の形段勿くして孤明なる、是れ這箇、説法聴法を解す。若し是の如く見得せば、便ち祖仏と別ならず。但だ一切時中、更に間断すること莫かれ。触目皆な是なり。秖だ情生ずれば智隔たり、想変ずれば体殊なるが為に、所以に三界に輪回して種種の苦を受く。若し山僧が見処に約せば、甚深ならざる無く、解脱せざる無し。道流、心法は形無くして、十方に通貫す。眼に在っては見と曰い、耳に在っては聞と曰い、鼻に在っては香を嗅ぎ、口に在っては談論し、手に在っては執捉し、足に在っては運奔す。本と是れ一精明、分かれて六和合と為る。一心既に無なれば、随処に解脱す。山僧与麼に説く、意、什麼の処にか在る。秖だ道流が一切馳求して、心歇むこと能わず、他の古人の閑機境に上るが為なり。道流、山僧が見処を取らば、報化仏の頭を坐断し、十地満心も猶お客作児の如く、等妙二覚は枷を担い鎖を帯ぶる漢、羅漢辟支は猶お廁穢の如く、菩提涅槃は驢を繋ぐ橛の如し。何を以てか此の如くなる。秖だ道流が三祇劫の空なることに達せざるが為に、所以に此の障礙有り。若し是れ真正の道人ならば、終に是の如くならず。但だ能く縁に随って旧業を消し、任運に衣裳を著け、行かんと要すれば即ち行き、坐せんと要すれば即ち坐し、一念心も仏果を希求すること無し。何に縁ってか此の如くなる。古人云く、『若し業を作して仏を求めんと欲せば、仏は是れ生死の大兆なり。』大徳、時光惜しむべし。秖だ傍家に波波地に禅を学び道を学び、名を認め句を認め、仏を求め祖を求め善知識を求めて意度せんと擬す。錯ること莫かれ。道流、爾秖だ一箇の父母有り、更に何物をか求めん。爾自ら返照し看よ。古人云く、『演若達多、頭を失却す。求心歇む処、即ち無事。』大徳、且く平常なることを要す、模様を作すこと莫かれ。一般の好悪を識らざる禿奴有り、便即ち神を見、鬼を見、東を指し西を劃し、晴を好み雨を好む。是の如きの流は尽く須らく債を抵し、閻老の前に向かって熱鉄丸を呑む日有るべし。好人家の男女、這の一般の野狐精魅に著けられて、便即ち揑怪す。瞎屢生、飯銭を索めらるる日有らん。」師、衆に示して云く、
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