李衛公問対 / 卷上
令素行以教其民者,則民服。
書き下し
令素より行われて以て其の民を教うれば、則ち民服す。
現代語訳
普段から命令がきちんと行き渡り、それによって人々を教え導いていれば、人々は自然と心から従う。
解説
日頃からの指示の一貫性こそが人を心服させるという、統率の基本を述べた一句である。ここで言う「令」は、いざという時だけの号令ではなく、普段からの積み重ねを指している。職場でも家庭でも、普段は放任しておきながら大事な場面だけ厳しく言っても、人はなかなか納得してついてこない。日々の言動が筋の通ったものであるかどうかが、いざという時に人が動いてくれるかどうかを静かに決めている。

人生を、一行の式にしてみた。
志×積×時×憤÷(1+執)+命。古典から導いた式『人生の方程式』と、二十四の悩みに古典が答える『人生の教科書』(PDF)、師導の全機能1か月がセットで700円です。
本の中身を見るこの章句が説くこと
統率一貫性信頼
関連する章句
-
論語・雍也篇季氏、閔子騫をして費の宰たらしむ。閔子騫曰く、「善く我が為に辞せよ。如し我を復たびする者有らば、則ち吾必ず汶の上に在らん。」
-
老子・第10章営魄を載せて一を抱く、能く離るること無からんか。気を専らにして柔を致す、能く嬰児ならんか。玄覧を滌除す、能く疵無からんか。民を愛し国を治む、能く無為ならんか。天門開闔す、能く雌たらんか。明白四達す、能く無知ならんか。之を生じ之を畜い、生じて有せず、為して恃まず、長じて宰せず。是を玄徳と謂う。
-
尚書・周官乃ち令を出すを慎め、令出でては惟れ行い、反すこと惟れ弗かれ。
-
史記 楚世家秦韓の宜陽を破る。而して韓猶ほ復た秦に事ふる者は、先王の墓平陽に在りて、而して秦の武遂之を去ること七十里なるを以てなり。故を以て尤も秦を畏る。然らずんば、秦三川を攻め、趙上党を攻め、楚河外を攻めば、韓必ず亡びん。楚の韓を救ふは、韓をして亡びざらしむること能はず。然れども韓を存する者は楚なり。韓已に武遂を秦より得て、河山を以て塞と為す。徳に報ゆる所は楚の厚きに如くは莫し。臣以為へらく、其の王に事ふること必ず疾からんと。斉の韓に信ぜらるる所以の者は、韓の公子眛を以て斉の相と為すなり。韓已に武遂を秦より得たり。王甚だ之に善くし、之をして斉・韓を以て樗里疾を重んぜしめよ。疾斉・韓の重きを得ば、其の主敢て疾を棄てざるなり。今又之に益すに楚の重きを以てせば、樗里子必ず秦に言ひ、復た楚の侵地を与へん」と。是に於て懐王之を許し、竟に秦に合せずして、斉に合して以て韓に善くす。二十四年、斉に倍きて秦に合す。秦の昭王初めて立ち、乃ち厚く楚に賂ふ。楚往きて婦を迎ふ。二十五年、懐王入りて秦の昭王と盟ひ、黄棘に約す。秦復た楚に上庸を与ふ。二十六年、斉・韓・魏、楚の其の従親に負きて秦に合するが為に、三国共に楚を伐つ。楚太子をして入りて秦に質たらしめて救ひを請ふ。秦乃ち客卿通をして兵を将ゐて楚を救はしむ。三国兵を引きて去る。二十七年、秦の大夫に私かに楚の太子と闘ふ者有り。楚の太子之を殺して亡げ帰る。二十八年、秦乃ち斉・韓・魏と共に楚を攻め、楚の将唐眛を殺し、我が重丘を取りて去る。二十九年、秦復た楚を攻め、大いに楚を破る。楚の軍死する者二万、我が将軍景缺を殺す。懐王恐れ、乃ち太子をして斉に質たらしめて以て平らがんことを求む。三十年、秦復た楚を伐ち、八城を取る。秦の昭王楚王に書を遺りて曰く、「始め寡人王と約して弟兄と為り、黄棘に盟ひ、太子質と為り、至って驩しかりき。
-
『韓非子』亡徵第十五好んで智を以て法を矯め、時に行ひを以て公に雑へ、法禁変易し、号令数々下る者は、亡ぶべきなり。
-
葉隠・聞書第一予(かね)て吟味して置くべき事なり。一分(いちぶん)の武辺(ぶへん)を確かと我が心に極め置き、疑ひなき様に覚悟すれば、自然(じねん)の時一番に選び出さるる事必定(ひつじょう)なり。これは折節(おりふし)の仕方・物言ひにて顕るるものなり。別けて一言が大事なり。我が心を披露(ひろう)する者にてはなし。