葉隠 / 聞書第一
何より一言が大事、かねての物言で人の心が知られる。豫て吟味して置くべき事なり。一分の武邊を確かと我が心に極め置き、疑ひなき樣に覺悟すれば、自然の時一番に選び出さるゝ事必定なり。これは折節の仕方物言にて顯るゝものなり。別けて一言が大事なり。我が心を披露する者にてはなし。
新字:何より一言が大事、かねての物言で人の心が知られる。予て吟味して置くべき事なり。一分の武辺を確かと我が心に極め置き、疑ひなき様に覺悟すれば、自然の時一番に選び出さるゝ事必定なり。これは折節の仕方物言にて顕るゝものなり。別けて一言が大事なり。我が心を披露する者にてはなし。
書き下し
何より一言(ひとこと)が大事、かねての物言(ものい)ひで人の心が知られる。予(かね)て吟味して置くべき事なり。一分(いちぶん)の武辺(ぶへん)を確かと我が心に極め置き、疑ひなき様に覚悟すれば、自然(じねん)の時一番に選び出さるる事必定(ひつじょう)なり。これは折節(おりふし)の仕方・物言ひにて顕るるものなり。別けて一言が大事なり。我が心を披露(ひろう)する者にてはなし。
現代語訳
何よりも一言が大事で、日頃の言葉づかいから人の心の中は知られてしまう。あらかじめよく吟味しておくべきことだ。自分の武士としての一分を、しっかりと心に定め、疑いなく覚悟しておけば、いざという時にまっ先に選び出されることは間違いない。その覚悟は、折々の振る舞いや言葉づかいに自然と表れるものだ。とりわけ一言が大事である。自分から心の内をわざわざ言い立てるものではない。
解説
前条に続き、日頃の言葉が覚悟を映すことを説く一節です。いざという場面で頼りにされ、選ばれる人になるには、平素から自分の芯となる覚悟を定めておくことだと言います。その内心は、宣言せずとも折々の言葉や振る舞いに自然とにじみ出るため、日常の一言が何より重要になる、という論理です。逆に言えば、口先で立派なことを述べ立てる必要はなく、覚悟は自ずと外に現れるものだと捉えます。現代でも、信頼や抜擢は日頃の言動の積み重ねで決まり、いざという時だけ取り繕っても間に合いません。自分の軸を静かに定め、それを普段の言葉に滲ませていく――そうした一貫性の大切さを教えてくれる一節です。
この章句が説くこと
一言日頃の言動覚悟信頼一貫性内面が表れる
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